芸術と家庭・・・絵画編(11)local_offer芸術と家庭
岸田泰雅
失った家族と幸福への憧憬
子供を生み育てる母の美しい姿
オランダが生んだ偉大な画家、「光と影の魔術師」と言われるレンブラント(1606~1669)の作品のなかに、『ある家族の肖像』がある。父と母、そして3人の子供の5人家族が画面のなかに描かれているが、みんな優しい笑顔であり、幸せな家族という印象が否応なく伝わってくる油絵である。
この家族の肖像が描かれたのは、1665年ごろとされるので、レンブラントの晩年の作である。残念ながら、『ある家族の肖像』は誰の家族なのか、分かっていない。
レンブラントの絵は、時代ごとに、その画法と技術を変遷させていったことが知られている。1640年ごろまでは、非常に緻密な細部描写に全神経を注いでいて、その描写力は圧倒的である。1640年を境にして、大胆に絵の具を厚く塗り上げる表現を重んじるようになり、薄い下地はそのまま利用するなどして、絵の具の材質感を前面に押し出す画風に転じた。それによって何が変わったかと言えば、初期の演劇的な演出効果から内面的な精神性の効果を生み出す技法として、光の効果が用いられるようになったということである。言い換えれば、レンブラントの絵は、年齢を重ねるごとに内面化していった。そこに光の効果を活用したのである。
『ある家族の肖像』を見ると、特にレンブラントが、5人の家族のそれぞれの顔の表情に光の効果を最大ならしめることに力を注いだことは歴然としている。3人の子供を生み育てている母親の幸福感と満足感、そこから来る一人の女性の美しさが母の姿の中にはっきりと感じられる。
もちろん、子供たちも母の愛を感じながら育っているので、幸せそうである。それを表しているのが子供たちの笑顔である。母の幸福感の背景にあるのが、妻としての充足感であり、それをもたらしてくれているのが夫の愛ということになるが、その夫も幸せな笑顔に包まれているから、夫婦愛が円満であると言ってよい。繰り返すが、『ある家族の肖像』は、幸福な家族の肖像である。
光と影を味わったレンブラントの人生
皮肉にも、『ある家族の肖像』の幸福感が描かれた晩年のレンブラントは、幸福とは遠くかけ離れたところにいた。貧困と絶望と不幸の中にあえいでいたのがレンブラントの晩年である。そういう意味では、『ある家族の肖像』は、レンブラントが失った家族の幸福へのいたたまれないほどの憧憬が描かせた作品と言えるのかもしれない。
現実的には不幸のどん底にいるレンブラントであるが、幸福な家族を描くことによって、自分も一緒に幸福感に包まれる恵みを分けてもらいたいという心情があったというふうに想像をめぐらすのである。
家族に注がれるレンブラントの眼差しは、人生の酸いも甘いも経験し、人生を達観した好々爺の境地であったのかもしれない。「人間よ、幸せであれ。不幸になるのではないぞ。ああ、いい家族だ。幸せな家族だ。家族の幸せが一番いい。描かせてもらうよ。描いていて、わたしも幸せになったよ」という独り言を心の中でつぶやきながら、幸せな気持ちで作品を完成させたとすれば、家族の幸福と平和が人生で最も貴いというのがレンブラントの心からのメッセージである。
レンブラントは絵画史上の金字塔
レンブラントは高い名声を得て、大きな工房を運営するほどに、名声と富を獲得した偉大な画家である。しかし、打ち続く不幸(24歳で父の死、29歳で長男の死、32歳で長女の死、34歳で次女と母の死、36歳で妻サスキアの死)に心身ともに打ちのめされてしまった。こういう不幸と反比例して、精神的な世界においては、宗教的な境地が訪れ、聖書を題材にした作品を多く描くような晩年の人生となる。
その一方で、レンブラントの浪費癖は相変わらず治ることなく、ヘールトヘを愛人にし、次にヘンドリッキエを愛人にするなど、私生活も乱れ、収入の方も激減する方へと転がり落ちて、晩年の彼は、「パンとチーズと酢漬けニシンだけが1日の食事」というほどに、貧窮生活を送る羽目になってしまったのである。
しかし、晩年に至っても、彼の絵筆は止まらず、描き続ける日々であり、晩年作でも多くの傑作を残している。その画才は生涯、衰えることはなかった。『ある家族の肖像』の制作に向かった彼の心中は、「自分は家族という点で大失敗をやらかしたが、この家族は素晴らしい」と称えつつ、画を完成させたに違いない。後世、彼の技法を追った画家は数知れない。