芸術と家庭・・・文学編(13)local_offer芸術と家庭
長島光央
母の深い愛の眼差し
日本のアンデルセン・小川未明
「日本のアンデルセン」と言われる児童文学者の小川未明(1882~1961)は、新潟県上越市(旧高田市)に生まれました。父親の澄晴は修験者であったと言いますから、修験道の清冽澄明の精神が父から未明(本名は健作)へ受け継がれていると見てもよいでしょう。
未明の作品のいくつかを読むと分かりますが、アンデルセンに劣らないメルヘンの世界を描き上げています。純粋な心を持った者でなければ書けない物語が、童話として描かれていますが、そこには大人世界ひいては人間世界そのものへの訓戒も込められており、単純な童話ではないことが見て取れます。ほのぼのとした人間味のある童話の世界です。
例えば、『赤いろうそくと人魚』ですが、人魚の赤ん坊を拾った子供のいない老夫婦が、その女の子の人魚を神様に感謝して大切に育てていきます。ろうそくを作って販売し、生計を立てていた老夫婦ですが、人魚の娘が老夫婦への恩返しにろうそくに描いた美しい絵が飛ぶように売れていき、また買った人々も、そのろうそくを山の上の宮にあげてその燃えさしを身につけると、大暴風雨の日でも船が転覆することもなく、おぼれ死ぬような災難がないということで、老夫婦もろうそくを買った人々も幸せいっぱいでした。人魚の娘は、身を粉にして、ろうそくに絵を描いていくのです。ここまでは美しい話です。
しかし、ある日、香具師(やし)が人魚の娘を買い取って、南の国へ連れていくという話が出てきます。結局、大金に目がくらんで、老夫婦は人魚の娘を売ってしまいます。人魚の娘が売られる直前に赤く塗ったろうそくが老夫婦のもとに残されていましたが、それをある晩、ずぶぬれの色の白い女が買いに来ました。その晩、南の方へ行く香具師の船も、その他の多くの船も転覆し、荒れ狂う海の藻屑となってしまいました。欲を出した老夫婦の仕打ちに、まるで天罰が下ったかのように、人魚の娘の描いた赤いろうそくが災いを起こしたという話です。
このほかにも『月夜とめがね』『のばら』『牛女』『殿様の茶碗』『千代紙の春』『負傷した線路と月』など、多くの名作があり、まさしく、小川未明は童話の万華鏡世界を作り上げています。その数、ざっと、1200編の作品群にのぼります。
母と子の関係
小川未明の『愛に就いての問題』を読むと、その「母親観」が分かります。母の愛ほど尊いものはないと言ったカーライルの考えと自分は同じ思いであると未明は語りつつ、さらにその上を行く母親観を述べています。
「母から云い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれて居るからである。これは架空的の宗教よりも強く、また何等根拠のない道徳よりももっと強くその子供の上に感化を与えている。神を信ずるよりも母を信ずる方が子供に取っては深く、且つ強いのである」とまで述べています。おそらく、この文章はそのまま、小川未明と彼の母親との関係を表すものであり、未明の心に母親の愛の眼差しがいつも感じられていたことの証であると見てよいでしょう。
小川未明の作品が、なぜ純粋無比の曇りのない世界観を描き上げるのに徹したかの答えは、おそらく母親の深い愛情が生んだ精神の高潔さにあったのだと結論せざるを得ません。
信仰心が生んだ純粋無垢の文学
さらに続けて『愛に就いての問題』を読み進めると、「母親の所謂(いわゆる)しっかりした家の子供は恐れというものを感ずる、悪いという事を知る。しかし、母親が放縦であり、無自覚である家の子供は、叱っても恐れというものを感じない。そして悪いという事に就いて根本的に無自覚である。唯(ただ)世の中は胡魔化して行けば可(よ)いというような事しか考えていない。この一事を見ても、子供心に信仰を有(も)たしめるものは、全く母の感化である」と述べています。
未明のこのような洞察は、おそらく、子供の成長のあり方を的確に言い当てていると言ってよいでしょう。「子供に信仰を有たしめるものは、全く母の感化である」といった見方は、この文章自体が、未明と彼の母親との関係そのものであると推察せざるを得ません。
このような背景を理解したうえで、改めて、小川未明の童話世界に踏み入ると、その表現もその内容も澄み切っており、時には、切なく悲しいほどに美しく、精神の神々しい輝きを放っています。小川未明のファンとなる読者は少なくありません。一度その文学の味わいに酔った人々はその童話を全部、すなわち、千二百編を読んでみたいという衝動にかられます。アンデルセンと並ぶ崇高な童話作家が日本にいるということを心から誇りたいと思います。