機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・絵画編(14)

芸術と家庭・・・絵画編(14)local_offer

岸田泰雅

貴族家庭の「幸福感」

ニコラ・ド・ラルジリエールの活躍

ニコラ・ド・ラルジリエール(1656~1746)は、17世紀から18世紀にかけて、フランス、イギリスを中心に、全ヨーロッパで名を馳せた肖像画家である。彼は人気があり、且つその当時としては非常に長寿だったので、彼の作品の数はかなり多い。世界の主だった美術館で彼の作品を見られないところはない。

ラルジリエールの父は、商人であったが、彼が3歳のとき、彼を伴ってアントワープへと移っていった。少年時代の2年間をロンドンで過ごしており、アントワープへ戻って、ビジネスを手掛け、うまくいかずに、アントン・グボーのスタジオで画業に着手、しかし、すぐにまた、18歳の時、イギリスへとんぼ返りした。ロンドンで、画家のピーター・レリー(1618~80)と友達になり、雇ってもらうという幸運に恵まれた。

レリーのもとで4年間を過ごしたが、レリーはイングランドの首席宮廷画家として重きをなす人物であった。ラルジリエールの絵画に注目を寄せたチャールズ2世は、王のもとに彼を引き留めようとしたが、ちょうどその頃、ライハウス陰謀事件(1683年)が起きた。

これは、チャールズ2世を狙った国王暗殺未遂事件で、ラルジリエールは直接、関わりがなかったものの、この事件の故にパリへ去らざるを得なくなった。パリで、彼は画家として受け入れられ、その評価を高めた。

その後も英国王室との関係は続き、1685年、ジェームズ2世が即位したとき、王室はラルジリエールにイギリスへ戻るよう懇願したが、彼は政情不安定を理由に、渡英を拒んだ。しかし、ジェームズ2世の肖像画、その他の英国王室の肖像画をパリで完成している。

パリでは、シャルル・ル・ブランの肖像画を描いたが、それをきっかけに、ラルジリエールはフランス芸術アカデミーへの入会をル・ブランから推奨された。ル・ブランはルイ14世の第一画家として、美術界の重鎮を成していたので、ラルジリエールの名声は高まる一方であった。

ある貴族の「家族の肖像」

ラルジリエール「家族の肖像」

ラルジリエールが描いた「家族の肖像」は、ラ・カーズ博士の所蔵であったが、1869年にルーヴル美術館のコレクションに加わったものである。18世紀絵画の偉大な美術愛好家ラ・カーズ博士は、ラルジリエールだけでなく、ワトー、フラゴナール、ブーシェなど多数の作品をルーヴルに寄贈した。

18世紀に流行した肖像画の中でも、非常に完成度が高いと評されることの多い作品が、このラルジリエールの「家族の肖像」である。画面に向かって左が主人、右がその夫人、中央が娘である。主人のそばに置かれた二羽の死んだ鳥は、狩猟を楽しむ階級にある人物であることを示唆しているので、上流階級に属する家庭だと分かる。貴族の一家であろう。夫人と娘の衣装も豪華である。よく見ると、娘は左手に楽譜を持っている。何か、歌っているようにも見える。「獲物が取れてよかったよ」と主人が言う。「ほんとに、収穫があってよかったですね」と夫人が返す。娘は「ララ、ララー」と歌い出す。幸福な家族の情景である。

17世紀末から18世紀初頭にかけて、大きな活躍を見せたラルジリエールであるが、彼の絵画の特徴は、豊かな布地を身にまとう夫人の優雅さが描かれることであり、その洗練された身なりが訴えかけてくる上流層の気品が、否が応でも伝わってくるということである。

まさに、世は、太陽王ルイ14世の時代、フランス貴族の優雅さを見せつける作品群を、ラルジリエールは、次々に創作したのであった。バロックの豪壮華麗、ロココの優美繊細、この流れの中で、バロックに別れを告げて、ロココの時代を拓く位置に立っていたのが、ラルジリエールであったと言えよう。

時代の鏡としての絵画

フランスのブルボン王朝時代、その中の、ルイ14世(在1643~1715)とルイ15世(在1715~74)の治世を、89年間にわたって生き抜いたラルジリエールは、まさに、フランス王政の全盛時代を、そのまま、鏡に映したような作品を残してくれた。

ルイ14世の言葉に、「私は人々を楽しませようとした。人々は自分たちが好むものを王が好んでいるのを見ると、感動するものだ」という言葉があるが、「家族の肖像」に見る、やや現実離れしたような幸福感を漂わせる貴族家庭の様子は、現実離れしているのではなく、実際、そういう気分で生きていた時代の証なのである。王が狩猟で楽しめば、貴族も狩猟で楽しみ、そこに夫人や娘も同参し、主人の頑張りと獲物の成果を祝うのである。幸せとは、家族が一つになって祝うものであり、夫婦、親子、一つとなった喜びの場であるのだ。