機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・文学編(16)

芸術と家庭・・・文学編(16)local_offer

長島光央

難解な表現と苦難の人生

日本統治下における韓国人作家の悲哀

日本統治下における朝鮮半島の作家たちは、多くの苦悩と葛藤の中で、人生を徹底的に考え抜き、熾烈な問題意識を持って、自らの生を作品として著しました。例えば、李光洙(イグァンス 1892~1950)、安国善(アングクソン 1911~1977)、崔南善(チェナムソン 1890~1957)、金東仁(キムドンイン 1900~1951)、蔡萬植(チェマンシク 1902~1950)、兪鎮午(ユジノ 1906~1987)、李無影(イムヨン 1908~1960)など、数えればきりがないほど、多くの作家
がいます。日本統治下という困難な状況の中で、否が応でも人生の何たるかを考えざるを得ない作家たちの内面を考えると、胸が痛くなります。

ここでは、非常に変わった一人の作家について述べたいと思います。その名は、李箱(イサン 1910~1937)といいます。彼は27歳という短命で、生涯を閉じました。彼の作風を一言で言えば、「難解」ということになります。

例えば、「人は光よりも迅く逃げると人は光を見るか、人は光を見る、年齢の真空において二度結婚する、三度結婚するか、人は光よりも迅く逃げよ」という彼の文章を見て、その意味を即座に理解することは、ほとんど不可能でしょう。彼の書いた作品の多くが、こういう調子ですから、難解な作家とされるのは仕方がありません。どういう環境で生まれ育ったのでしょうか。

李箱(本名は金海卿キムヘギョン)は、ソウルの鐘路区に生まれ、弟一人、妹一人がいました。普成高校から京城高等工業学校へと進学しますが、彼には、絵の才能があって、普成高校時代には画家になることを夢見ていました。1923年3月に京城高等工業学校を卒業後、朝鮮総督府内務局に勤務、さらに官房会計課へと転勤します。

1933年(23歳)には、喀血(かっけつ)し、退職、養生のために、黄海道の白川温泉へ赴きました。ソウルへ戻ると、生活のために、茶房の経営に取り組みますが、うまくいかずに、1935年には廃業します。1936年に東京に行き、1937年には、思想不穏の嫌疑で警察署に拘禁されます。健康悪化により、1937年4月、東大病院で死亡するという人生を送りました。

異常な作品群

李箱は、1934年に発表した『烏瞰図(オガムド)』において、その名を上げる一方、その難解な表現と内容に対し、人々の批判的な声も多くあがりました。ある意味では、朝鮮民族の持つ独特な心情世界と論理世界の一端が、作家の李箱を通して表現されたとも言えるでしょう。

詩十五編から成る『烏瞰図』ですが、彼の張り詰めた神経が異常な精神世界を織り成し、それを言語化するとき、ぐるぐる回る論理と饒舌、固執と自棄、複雑な心情と想念が綴られるのです。到底、誰も真似ることのできない一種の天才的な文章(詩)です。

『顔』という1931年の作品を見ると、句読点が一度も現れない長い、長い文章を、李箱は書いています。「あの男のお母さんの顔は醜いに違ひないけれどもあの男のお父さんの顔は美しいに違ひないと云ふのはあの男のお父さんは元元金持ちだったのをあの男のお母さんをもらってから急に貧乏になったに違ひないと思はれるからであるが本当に…」と。

延々と綴った文章は13行目に及んで、やっと読点を見いだします。この終わりなき論理の展開は、おそらく、朝鮮半島で暮らしてきた人々の内面において、自己に問いかける人生の無常観のやるせなさからくる「どこに持って行ったらよいか分からない深く切ない悲しみ」に由来すると言ってよいのかもしれません。

真の愛こそが確かな人生か

李箱は、1933年、療養のため黄海道の白川温泉へ赴いたときに出会った女性、錦紅(クモン)と一緒になります。どちらの方から近付いたのか分かりませんが、一緒に生きていくことを誓い合ったのでしょう。

李箱が、生活費のため、茶房を経営することを決め、その店の切り盛りを任せられた錦紅は、懸命に頑張りましたが、何しろ、客の入りが思わしくなく、ソウルへ引っ越してからも、茶房経営は軌道に乗ることがありませんでした。

そんな挫折の中で、妓生であった錦紅と別れ、1936年に、梨花女子専門学校で学んだ卞東琳と結婚します。しかし、その頃には、李箱の体は相当に弱っており、生活も破綻状態にあったため、二人の生活に未来を見いだすことは困難でした。そういう中で、李箱は、忽然と、妻を置いて、単独で東京へと向かいました。

錦紅は妓生であったため、彼女と一緒になったことを不覚とする敗北的心情が、『ひげ』の中で「娼女よりももっと貞淑な処女を願っていた」と告白されています。李箱は、一旗揚げたいと東京へ向かったものの、それは彼の帰らざる旅であり、卞東琳は、夫と暮らす夢を絶たれます。真の愛を求めて、李箱はあの世へと旅立ちました。