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ジャーナリスト 堀本和博
90年後の平成時代に制定された師走13日「ビタミンの日」に考える恩恵
中国・武漢発の新型コロナ禍に世界中がおびえすくんだが、感染症対策にマスク、手洗い、間合い(3密を避け、ソーシャル・ディスタンスを保つ)などの対策をとり、都市の封鎖していたのを解除して経済を循環させることに転回し、コロナ渦の中でも生活を立て直していく。そんな中で令和2年の師走を迎えている。
12月1日は別のウイルス感染症にまつわる日である。レッド・リボンで象徴される世界エイズデーである。エイズもかつては人々が恐れた病(やまい)だった。このエイズの世界レベルでのまん延防止と患者や感染者への差別・偏見を解消するため1988年に世界保健機関が制定した。毎年、この日に各国でエイズについての啓発活動が行われ、よく知られるようになったのである。
人類の歴史はコレラやペストなど細菌やウイルス感染症との戦いとも言われるが、病気は感染症ばかりではない。いくら探しても病原菌が見つからない病気もある。
日本人がよくかかった脚気は、かつて結核と並ぶ二大国民病と言われた。明治時代(1868年~)から大正12(1923)年の約27,000人をピークに、米の調達・配給事情が悪化する昭和13(1938)年まで年間6,000人~20,000人の死者を出してきた。特に当時の軍隊がそのまん延に悩まされてきたのである。
その原因について農芸科学者・鈴木梅太郎は明治43(1910)年12月13日に、白米で飼育する動物に脚気の症状が出るが、米ぬかや麦を与えると快復すると学会に報告。感染症や中毒説が支配していた当時の医学界は受け入れなかったが、鈴木は翌年、米ぬかの有効成分の抽出に成功し栄養素『オリザニン』として発売した。これがビタミンB1で、学会に報告した13日が「ビタミンの日」(90年後の平成11年に制定)となったのである。
20世紀前半は病原菌とは反対に、体内で不足すると健康を保てない有機化合物が次々に発見された。それらはビタミンと総称されたが、国内の学会で受け入れられなかった鈴木の報告は当然、海外で知られることはなかった。1年後の1911年に、ポーランドのフンクがビタミンの発見を発表し、この発見でフンクは昭和2(1927)年のノーベル医学賞受賞者となっている。
B1だけでなく各種ビタミンの発見は、創薬・開発される感染症薬に劣らず計り知れない恩恵を人類にもたらしているのである。