機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・文学編(20)

芸術と家庭・・・文学編(20)local_offer

長島光央

家庭の試練乗り越えた内村鑑三

後世への最大遺物

内村鑑三(1861~1930)の書き物の中に一篇の小品『後世への最大遺物』があります。これは、1894(明治27)年に箱根で開催されたキリスト教青年会第7回夏季学校で、内村が行った講演の内容です。

後世に残すものがあるとすれば、それは何かという問題意識の中で、いろいろと内村は語っているのですが、その中に「われわれの生涯の解釈から申しますると、この生涯はわれわれが未来に往く階段である。ちょうど大学校にはいる前の予備校である。もしわれわれの生涯がわずかこの50年で消えてしまうものならば実につまらぬものである。

私は未来永遠に私を準備するために世の中に来て、私の流すところの涙も、わたしの心を喜ばしむるところの喜びも、喜怒哀楽のこの変化というものは、私の霊魂をだんだんと作り上げて、ついに私は死なない人間となってこの世を去ってから、もっと清い生涯をいつまでも送らんとするは、私の持っている確信でございます。」という一節を残しています。

霊魂があの世へ旅立ったのちに、この地上に何を残すのかという課題は、人生を真摯に生きる人にとっては、深刻なテーマであります。キリスト者であった内村鑑三は、地上の人生を通して何をこの世に残すかについて真剣な問いを自らに投げかけます。金を残す者、事業を残す者、慈善活動で社会貢献する者、いろいろでありますが、内村は思想を残すと語っています。そのために、彼は多くの講演会を行い、また多くの著作を執筆しました。

内村鑑三のキリスト者としての生き方

内村は、二つのJに生きると語っていますが、それは「ジーザスのJ」、「ジャパンのJ」という二つが彼の人生における標語であると宣言したことを意味します。イエスに対する信仰の心を持って、日本を神の国にしたいという願望の表現が、二つのJの意味でしょう。

内村は札幌農学校で洗礼を受け、渡米してアマースト大学(全米最高峰のリベラルアーツ・カレッジ、4人のノーベル賞受賞者を輩出)で学んだ履歴でも分かる通り、聖書の精神やイエスへの信仰と愛を中心に生きることを徹底したクリスチャンです。それゆえに、教派へのこだわりを捨て、聖書の研究を通して広く人生の在り方や社会改革の精神を啓蒙するために、無教会派の立場に立ちました。内村の考えには、多くの知識人たちが共鳴し、深く影響を受けました。それは、内村の弟子たちが社会の一線でさまざまに活躍したことからも明らかであります。

人生と社会を洞察する彼の鋭いまなざしは、時に、預言者のような警告を発し、妥協を許さない厳しさをおのれ自身に対して、また社会に対して要請するものでした。そういう意味では、考えの衝突や組織の亀裂などに直面することも少なくなかった彼の人生であったとはいえ、それはそれで、内村が乗り越えていくべき天の試練でもあったのです。彼は社会活動の面だけで試練に直面したわけではなく、家庭においても大変な試練を通過しますが、最後には、よき家庭生活を送ることができて、神に大いなる感謝を捧げながら、地上の生を終えることとなります。

内村鑑三の結婚と家庭

内村鑑三は、1884(明治17)年、浅田タケと結婚しましたが、半年後に離婚しました。原因はタケの異性関係であったと言われています。続いて、5年後の1889(明治22)年、横浜かずと結婚します。

1891(明治24)年、明治天皇の親筆の署名に敬礼しなかったという、いわゆる、「不敬事件」が起きました。この事件のあと、不幸にも、内村は流感に倒れ、重篤な状態に陥って病に伏す身となりました。妻のかずも流感に倒れてしまい、かずは、2カ月の病臥の後に死去しました。

幸せな家庭生活を営むという理想を叶えることができない不運が続きますが、1892(明治25)年、クリスマスの日に岡田静子(18歳)と結婚します。内村鑑三の言葉によれば、静子は「従順・謙遜・柔和を備えた守護天使である」とのことでしたから、どれだけ、静子が内村の思いに適った女性であったかが分かります。彼女は結婚後、38年間、素晴らしい内助者になりました。1894(明治27)年、二人の間には、長女のルツ子が生まれ、1897(明治30)年には、祐之が生まれます。

ルツ子は、1911(明治40)年、実践女子校を卒業し、内村が経営する聖書研究社で働いていましたが、原因不明の難病に冒され、医師から死の宣告を受けます。18歳の夭折は、あまりに短い生涯でした。「感謝、感謝、もう行きます」という彼女の臨終の言葉はどれだけ、両親の心を揺さぶったことでしょう。娘の死を契機とし、内村の信仰は大いなる深化を遂げて、人類救済の再臨運動へと突き進み、歴史的な狼煙(のろし)を上げていくのです。