芸術と家庭・・・絵画編(28)local_offer芸術と家庭
岸田泰雅
秘跡としての「結婚」
中世ヨーロッパの時祷書
ヨーロッパにおいて、中世はローマカトリックの精神的権威のもとにキリスト教信仰が各国に受容された時代であった。カトリックはサクラメント(秘跡)として、「洗礼」「堅信」「聖体」「ゆるし」「病者の塗油」「叙階」「結婚」の7つを挙げている。それらはもちろん信仰上非常に重要ではあったが、貴族であれ、平民であれ、キリスト者として日常生活を送るにあたり、絶対に欠かせないものが「祈り」であったことは言うまでもない。朝な夕なに捧げる日々の祈りこそ、信仰の証だったのである。
従って、その時代、ローマカトリック教徒としての信仰・礼拝の手引きである「祈りの書」が必要になったのは当然のことと言える。祈祷文や詩編を集成し、内容に合わせた挿絵をつけて編集された「時祷書」は、まさにその「祈りの書」であった。
時祷書は数百点現存しており、様々なものがあるが、通常、中世における時祷書と言えば、修道院の要素を一般信徒の生活に組み入れる目的で編集されたものを指す。時祷書には様々な祈祷文が掲載されていたが、定時の祈りにおいては、数編の讃美歌の朗読・唱和と既定の祈りの言葉を唱えるのが基本であった。
時祷書が最初に出現したのは12世紀ごろと言われている。イギリスでは、1240年ごろに女性の一般信徒のために書かれた最初期の時祷書がオックスフォード近くの修道院で発見されている。
1340年代に黒死病(ペスト)が流行したのち、一般信徒たちの祈祷書への関心が高まり、時祷書は広まっていった。当初、個人的な時祷書を持つことができたのはほとんど王族、貴族、富豪たちであったが、彼らは時祷書の所持をもって自身の信仰深きことを神の前に表したのである。
時祷書は15世紀までの間に、オランダやフランスで大量に作られた。15世紀後半には、出版技術の進歩によって普及版が登場し、貴族や富豪たちだけでなく、平民や召使さえも、個人用の時祷書を所持することが可能となった。このようにして、時祷書は王族・貴族から市民階級まで、あらゆる一般信徒の間でポピュラーになっていったのである。
ベリー公のいとも豪華なる時祷書
時祷書の例としてよく挙げられるのが、「世界で一番美しい本」とも言われる『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』である。これは、1412年から1416年ごろにフランスのベリー公ジャン1世(1340~1416)が作らせた、最も豪華に装飾された写本の一つである。
ジャン1世は美術品の蒐集家や芸術家のパトロンとして知られた人物である。彼がこの時祷書の制作を依頼したランブール兄弟は、15世紀の初頭、フランスとブルゴーニュ公国で活躍した画家の兄弟である。ヘルマン、ポル、ヨハンの三兄弟でジャン1世からの仕事を請け負っていた。ただし、ランブール兄弟はこの時祷書を完成させる前に亡くなってしまったため、一時中断を経て、最終的には15世紀の終わりに他の画家たちの力で完成させることができたと伝わっている。
この時祷書には、月々の行動を示すカレンダーが掲載されており、1月から12月まで、各月に応じた挿絵が入っている。挿絵はどれも非常に豪華に描かれていて、これが「いとも豪華なる時祷書」と呼ばれるゆえんだろう。ここに掲載したのは4月の挿絵であるが、描かれた人物たちは皆、高級な服装をしていて、特に立ち姿の4人のうちの二人は豪華な衣装に包まれている。春うららかな日差しの下、二人は婚約指輪を交わしているのである。男性が女性に指輪を贈り、誓いの言葉を言う。まさに春を表すのにふさわしい美しさ溢れる情景である。
この画の横幅が15センチしかないことを考えれば、驚くべき緻密さだということが分かるだろう。さすがミニアチュール画家として名を馳せたランブール兄弟である。ほかの月の挿絵も同様で、その細密さの故にランブール三兄弟がベリー公のお気に入りになったのではなかろうか。
最高に「豪華」な挿絵
カトリックはサクラメント(秘跡)の一つとして「結婚の秘跡」を挙げ、結婚は「一組の男女が互いに、生涯にわたる愛と忠実を約束し、相互に助け合いながら、子供を出産し養育することを目的として、家庭共同体を築き発展させるための恵みを与えるものである」と説明している。その意味を噛み締めて向き合う中世貴族の男女を描いた挿絵が時祷書の一ページを飾ったのであった。細密なタッチといい、色合いといい、その挿絵は絵画としても確かに「豪華」であったが、神の祝福の大きさから見ても、最高に豪華なものだと言えるだろう。
【参考図書】・「西洋美術史ハンドブック」高階秀爾・三浦篤編 新書館 2004年 ・「カトリックの信仰生活がわかる本」影山あき子ほか 女子パウロ会発行 ・「美しき時祷書の世界――ヨーロッパ中世の四季」木島俊介 中央公論新社 1995年