機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・絵画編(30)

芸術と家庭・・・絵画編(30)local_offer

岸田泰雅

民を救った女性を描く

エステルという女性の物語

旧約聖書の「エステル記」の物語は、アケメネス朝ペルシアの第4代王アハシュエロス(別名クセルクセス)の妃に、謙遜なユダヤ人女性のエステルが選ばれる話から始まります。あるとき、エステルの育ての親で、いとこでもあるモルデカイが王の暗殺計画を聞き、エステルを通じてアハシュエロス王に伝えました。これにより計画は未遂に終わり、王は危機を免れます。

一方、帝国ナンバー2の地位にいたハマンは、自分にひざまずかないモルデカイに怒り、彼がユダヤ人だと知るとユダヤ人虐殺計画を考案し、王の許可を得て法令を発布しました。モルデカイはこの計画に嘆き、その様子はエステルにも伝わります。

モルデカイはエステルに、王へ働きかけるよう促しますが、招請がないのに王のもとに行く者はたとえ王妃であっても殺されるという法律がありました。エステルは、ユダヤ人を救うために「私が、もし死ななければならないのなら、死にます」と言って命がけの決意をしました。3日間の断食をした後、王に接見を許されたエステルは、酒宴を開いてハマンを招待します。ハマンは有頂天になりますが、ますますモルデカイが疎ましくなり、
彼を殺すための準備をしました。

初日の宴の後、眠れなかった王は、日々のことを記録した日誌を家臣に読ませます。そこで、暗殺計画を防いだモルデカイに何の褒章も与えていないことに気がつき、最大の栄誉を与えることにしました。翌日、再び酒宴を催したエステルは、ハマンの虐殺計画を王の前に訴えます。命乞いをするハマンに対し、王は残虐な計画だけでなく、自分に良いことをしたモルデカイにも危害を加えようとしたことに怒り、彼を処刑しました。そして、発布されていた虐殺の通達に対抗する命令を出して、ユダヤ人たちを保護しました。

モルデカイはその後、アハシュエロス王に次ぐ地位に用いられます。ユダヤ人たちは、民族を救ったエステルの勇気と信仰をたたえてプリムの祭りを制定し、その記録を子孫に伝えるようにしました。同族を救ったエステルは、ユダヤの人々が永遠に記憶する女性として称賛されることになったのです。

画家アーネスト・ノーマンド

ハマンを非難するエステル

エステル記の物語は多くの画家が作品にしていますが、その中の一人にアーネスト・ノーマンド(1857年-1923年)がいます。彼の作品「ハマンを非難するエステル」は、アハシュエロス王の面前でエステルがハマンの悪事を訴えた場面を描いたものです。エステルの勇気ある行動を強調するような構図で、劇的な場面を演出するように光と影が巧みに使われています。

ノーマンドは、イギリスのロンドンで生まれ、セント・マーチンズ・スクール・オブ・アート(現在のロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ)で美術教育を受けました。その後、大英博物館やドイツで修行を積んで1876年に帰国します。1880年からロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立美術院)で学び、そこで同じく画家のヘンリエッタ・レイと知り合って1884年に結婚しました。

二人の間には1886年に息子、1893年に娘が生まれます。1890年に夫婦でパリのアカデミー・ジュリアンに入学。ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルらに指導を受けました。1893年に帰国し、ロンドンのアッパー・ノーウッドに移り、制作に励みました。

ノーマンドの絵画は、色彩豊かで、細部まで丁寧に描いているのが特徴です。主に歴史や神話、聖書の一場面を題材にしたものが多く、また、オリエンタリズムの影響を受けて東洋的な要素を取り入れた作品も残しました。

エステルの信仰を称賛するキリスト教世界

民族滅亡の危機から奇跡的な大逆転劇を見せるエステル記のスリリングなストーリー展開は、キリスト教国家の人々の人気を集めています。その最大の山場である「ハマンを非難するエステル」をノーマンドは精魂を込めて描き切りました。

聖書には「謙遜と主を恐れることとの報いは、富と誉と命とである」(箴言22章4節)とあります。傲慢なハマンが処刑された一方で、謙遜なエステルがユダヤの民を救うため、信仰と勇気によって立ち上がることで「富と誉と命」を授けられる物語は心に深い感銘を与えます。平和の中にこそ人々の暮らしがあり、家庭の中に笑いと幸福が宿るのです。エステルは、ペルシア帝国に暮らす多くの同胞の家庭に、その平和をもたらしてくれたのでした。

【参考資料】「もしかすると、この時のため: 際に立つエステルとその勇気」:遠藤嘉信(著)、いのちのことば社、2007年4月出版 ・「聖書」:日本聖書協会