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誌上講演会

大塚克己

「家庭の価値」その1

今日は、家庭崩壊の問題や、子供たちの問題も含めて、「真の家庭」ということについて、テーマを絞ってお話しいたします。

まず家庭というものは、どんなことがあっても一人ではできません。最低、二人が必要です。すなわち、男性と女性が愛し合い、夫婦となって初めてそこに家庭が生まれます。したがって、家庭の原点は「男女の愛」です。しかし、いくら夫婦が仲睦まじく生きていたとしても、そこに愛の結晶としての子供が生まれなければ、寂しいものです。「夫婦」、「親子」という二つの関係性が、家庭の中にはあるのです。子供が二人、三人になれば、子供同士の間で「兄弟姉妹」という新しい関係が生まれます。

このように、家庭は一人では成り立ちません。必ず男性と女性が一緒にいなければ、家庭は出発しないのです。最近アメリカでは、男性同士の結婚が許されるそうです。男性同士が結婚して、家庭と言えるでしょうか。男性同士の結婚をどうして認めるのでしょうか。女性同士の結婚をどうして認めるのでしょうか。変な社会ができ上がってしまった、と思います。

男性同士、女性同士で家庭はできません。あくまでも夫婦、男性と女性が愛し合った結果として、家庭が出発しなければなりません。つまり、家庭の真ん中にあるのが「愛」です。夫婦というのは、妥協、権力、事情でなるわけではありません。根本的に、その中心に愛があって出発しなければならないのです。

では、ここにいらっしゃる女性の皆様にお聞きします。どのような愛で男性と結婚したいでしょうか?もっと分かりやすく言えば、「わたしはあなたを愛している、だから結婚しよう、二人一緒だね、あなたのものはわたしのもの、わたしのものはわたしのもの」(笑)という愛が良いでしょうか? それとも「君を愛している、だから結婚しよう、ぼくのものはすべて君にあげるよ、君のものは全部とっておきなさい、ぼくにくれなくてもいいよ」という愛が良いでしょうか?

「与える愛が良いか、奪う愛が良いか」ということを考えると、ここにいらっしゃる誰もが「与える愛が良い」ということになるのです。与える愛、為に生きる愛、犠牲的な愛のほうが、愛としては素晴らしいということは、皆さんも十分ご理解していると思います。奪い合い、相手を利用して自分自身が利益を得ようとする愛では、その男女関係は必ずどこかで破綻するのです。

とにかく、与える愛が「真の愛」であり、正しい愛であり、人間に最終的な幸せと喜びを与えるものであることは、皆様もよくご存じだろうと思います。

今日の話のテーマは、「真の家庭である限りにおいては、その前提として真の愛が必要だ」ということです。真の愛の条件の一番目は、「与える愛」ということです。奪うよりも与えるのです。与えることによって相手が喜ぶ、その喜んでいる顔を見たい…というところに究極の原点がなければならないのです。「与える愛」なのです。「奪う愛」ではないのです。奪い続ける愛は、どこかで限界がきて、どこかで行き詰まってしまい、どこかでおかしくなってしまいます。

例えば、わたしが鳥取にきて、境港でカレイの干物を買って帰り、三匹を隣の家の人にあげたとします。隣の人は、「なんだ、三匹だけか」と思います。今度は隣の人が伊豆に旅行して、アジの開きを二匹買ってきた。私はそれをもらって、「ああ、二匹なのか」と思います。また境港からお土産を買って帰るときは一匹になる。「ああ、一匹なのか」と、次は手ぶらになる…。

このように、お互いが奪い続け、自分が利益を得ようとすると、その関係はどんどん、しぼんで行くのです。

逆に、わたしが三匹あげた、四匹返ってきた、五匹戻ってきた、百万円あげた、六匹戻ってきた、一千万円くれた…。こういう状態が良いのです(笑)。若干、関係性に問題があるかもしれませんが、互いが受けた以上に与えるということが重要であり、より人間に幸せを与えるのであります。そう考えると、真の愛の第一条件は「与える愛」ということになるのです。

この「与える愛」が、最も典型的に、最も素晴らしい形で現れているのが、親子の関係です。お母さんは命がけで子供を産みます。子供たちは、小学生、中学生、高校生になったら、「お母さんがどれだけ苦労して、苦しみの中で、命がけで子供を産むか」ということを知るべきだと思います。

苦しみながら、苦労の中で子供を産み育ててきた親の苦労が分かれば、子供はそう簡単に曲がるものではないのです。いまでこそなくなりましたが、昔は出産とともにお母さんが亡くなることは、いくらでもあったのです。昔はそのようにして多くの人が亡くなっていったことを考えると、母親にとって子供を産むということは、命がけのことなのだと、子供たちはよく自覚する必要があるでしょう。

しかも、江戸時代の飢饉で、多くの人々が死んだころの記録をみると、もちろん一番弱い病人の方、あるいはご老人の方が亡くなっていきますが、次に亡くなっていくのがお母さんでした。なぜかというと、自分は食べないで子供にあげるからです。そのように、お母さんたちが犠牲の道を来たというのが、長い長い歴史ではないでしょうか。親は必死になって、自分自身の骨身を削って子供を育てるのです。

動物の中で、人間ほど親子関係が長い期間続くものはいません。魚は卵を産みっぱなしです。魚が子育てをする事例は多少ありますが、ほとんどありません。産んだら後は分からないのです。動物は皆そうです。動物を高等、下等とどのように分けるか問題があるかもしれませんが、高等動物になればなるほど、親子が一緒にいる時間が長くなるのです。最も長いのが人間です。へたをすると、子供が自立できないまま四十年も親と一緒に過ごすこともあります。四十を過ぎても、子供が親に小遣いをねだるということもあります。人間だけです。なぜかといえば、親子関係を通して愛を成長させ、完成させるために、そのようになっているとしか考えられないのです。

そのように考えると、無償の愛、与える愛が最も現れる形が親子関係です。ですから、この親子関係が極めて重要なものになるのです。一番目の条件が「与える愛」ということです。 (続く)