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誌上講演会

真の家庭運動推進協議会会長 大塚克己

真の愛による家庭(上)

人間の最大の課題は「家庭」

人間は誰しも親から生まれてきます。お父さん、お母さんがいなくて生まれてくる人はいません。工場で生産され、金太郎飴のように同じ服を着ているのではないのです。人類がどんなに増えたとしても、それぞれが個性を持って生まれてくる不思議な存在です。普通の顔をしていても、同じ顔の人を見つけることはできません。ですから、互いに異なる人間が住む家庭が、人間にとって大きな課題になるのです。

家庭は人が愛によってつながっている場所であり、父母の愛によって子供が生まれるので、家庭の中心は愛でなければなりません。愛によって生まれた生命の連続が血統ですから、愛と生命と血統とを別々に考えることはできません。愛を考えると必ず次に生命を考えなければならず、生命を考えると自分の命の出発点として親やその親というようにして過去を見つめる、あるいは子供や孫というように未来を見つめることから、命の連続を考えるようになり、血統を軽く考えることができなくなるのです。

人は愛の中で生まれ、愛の中で育ち、愛の中で死んでいきます。そこで、まず親としてどのように子供を産むかが問題になります。子供は産むものなのでしょうか、できてしまうものなのでしょうか。最近、芸能人の間で「できちゃった婚」が増えているのは、とても残念です。「できちゃった」には「失敗しちゃった」という意味があります。すると、生まれてくる子供にとって、その出発が失敗ということになります。それはとても寂しい出発点ではないでしょうか。

結婚した親から待ちに待たれ、求めに求められて生まれた子供は幸せでしょう。「できちゃった」子供はかわいそうです。子供に、「お父さんとお母さんはどうして結婚したの」と聞かれると、「おまえができたからだ」と答えるのでしょうか。笑えないブラックジョークです。「ぼく(わたし)がいなかったら結婚しなかったんだね」と続いて聞かれると、「当たり前でしょう」と答えるのでしょうか。(笑)

「子はかすがい」と言われますが、求められて生まれてきた子とできちゃった子との間には大きな差があります。旧約聖書には、イスラエル民族を導いた聖人、義人たちの話が山のようにありますが、彼らを産んだ母親の話もきちんと書かれています。その母たちに共通しているのは、子供が生まれにくい女性たちだったことです。そういう体質だったので、彼女たちはどのように子供を産むか真剣に祈り求めています。そんな母親の心情まで書き綴っているのが旧約聖書の不思議なところで、「出産」が旧約聖書の大きなテーマの一つなのです。

知識だけでは育たない

子供が生まれてからは、どう育てるかが大きな課題になります。体を大きくすればいいと考えると、ひたすらご飯を食べさせます。食べれば食べるほど子供は大きくなります。もっとも栄養バランスを考え、いろいろなものを食べさせないと健康を害してしまいます。どんな食事を用意するかはとても大きな問題です。

あるお母さんは、いくら注意しても外泊ばかりする子供に、毎日おいしい夕食を用意して待っていたところ、やがて外泊しなくなったそうです。食事を通じで愛情を伝えることができたのでしょう。犬や猫を餌付けするように、子供も餌付けしないといけません。上品な言葉で言うと食育になります。もっとも人間の子供はいろいろ注文しますので、お母さんも工夫が必要です。

でも食事だけでは、精神的、霊的存在である人間は育ちません。次に、どのように心、魂を育てるかが問題になります。心はどうすれば育つのでしょうか。心には知情意の三つの働きがあります。それらをどう育てるかには、親としての価値観が課題になります。

日本社会で子供がうまく生きていくには、会社で出世するためには、いい大学に入らなければならない。そこで、子供に勉強しなさいと口うるさく言い、「勉強しないとお父さんみたいになるわよ」と参考書を買い、塾に通わせ、一生懸命に知識の勉強をしたとすれば、子供は立派に成長していくでしょうか。

私は学生のカウンセリングで多くの東京大学の学生にも会いましたが、少し変わった人たちばかりでした。彼らを東大に入れるために、周りがすべて犠牲になってきているのです。弟や妹はテレビを消し、音を立てないように歩く。そうやって東大に入った学生には、周りが自分のために犠牲になるのを当たり前のように思ってしまう人が多いのです。

ところが問題は、地方の高校ではトップだったのが、東大では下のほうにいるのが分かることです。それで自信を失い、心に問題を抱える学生が出てきます。トップの人がいるのはビリの人がいるからです。ですから、ビリの子は親に成績表を見せるとき、「ぼくがいるからトップがいるんだ」と堂々と言えばいいのです。親は「そのビリがおまえである必要はない」と言うかもしれませんが……。

でも、知識だけ詰め込んだ人間に育つとどうなるでしょうか。知識だけでは人は立派になれないことは、誰もがよく知っています。人間の本質は心情にあるからです。たとえ成績が優秀でなくても、愛情が深くて周りによく尽くす、やさしい人だとなれば、みんなに慕われ、尊敬されるでしょう。結局のところ、人は愛情を育てていく以外にないのです。夫婦が愛し合うことによって生まれた命なので、愛が命の本質である以上、その愛を育てていくことが最大の課題なのです。

親の無条件の愛で心を育てる◆

愛情は言葉や授業で教えることはできません。愛は感じるものなので、親が子供を愛することによって、体験的に伝えるしかないのです。親から愛されない限り、子供の愛は育ちません。

親の無条件の愛を感じた子供は精神が安定します。条件付きの愛を受けると精神的に不安定になります。成績が良くならないと愛してもらえない子は、順位を上げるために不正をするかもしれません。娘が結婚する時に、親がそれまでかかった養育費のレシートの束を見せたら、娘は親の愛を感じるでしょうか。無条件の愛とは、その人がいること自体を喜ぶ愛です。それによって子供は心が安らぎ、勉強にも身が入ります。

子供にとって最もショックなのは夫婦喧嘩でしょう。仲の悪い父母の元で育った子供は、家庭に希望を持てなくなります。親の気持を子供は敏感に感じ取るので、ごまかしは利かないのです。

親の愛情を感じられない子供は、その心の空白を何かで満たそうとします。それがスポーツなどへの熱中ならいいのですが、異性やたばこ、酒、麻薬など不良行為に向かうと危険です。ですから、父母は仲のいい姿を見せることが、子供にとって最良の栄養となるのです。

しかし、夫婦というものはいつまでも新婚のルンルン気分ではいられません。愛情を維持するには、互いにそれなりの努力が必要です。夫はたまに食器を洗うと、いつでも洗っているかのように言います。妻のほうも夫に少しも感謝せず、何もやってくれないと不満を募らせます。そんなすれ違いが夫婦にはありがちです。途中でいろいろあっても、大切なことは最後まで添い遂げることです。

三世代が一つにまとまる

生まれたばかりの赤ちゃんは、泣いているか寝ているかです。赤ちゃんはいるだけで親の喜びなので、むずかって泣けば周りが何でもしてくれます。

育ち始め、兄弟ができると、その中で情が育ち、遊びながら人間関係を覚えていきます。子供は3人以上いるほうが競争が生まれるので望ましいといわれます。

やがて、妹は兄の延長線上に、将来の夫を見るようになります。兄は妹の向こうに、将来の妻を見ます。

娘にとって最良の結婚とは、お父さんのような男性と一緒になりたいと願う結婚です。そう言われた父親は幸せでしょう。息子はやはりお母さんのような女性と結婚したいと思うようになります。子供にお父さんとお母さんのような夫婦になりたいと思ってもらえたら、子育ては成功したといえるでしょう。

父母はやがて祖父母になります。祖父母は子育ての責任がない孫は、無条件でかわいいと言います。孫が自分たちに似ていると、さらに祖父母の喜びは増します。先祖から受け継いできた命のリレーが、次の次の世代へと引き継がれるのは、最高の喜びです。

祖父母、父母、子供は、家庭における過去、現在、未来です。その三世代が一つにまとまることが家庭の理想です。その中心にあるのが真の愛です。真の愛以外に、縦と横の家族関係を結びつけるものはないのです。 (つづく)