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誌上講演会

真の家庭運動推進協議会事務総長 丸岡正策

家庭主義の時代

対立関係か相対関係か

すべての存在をどのように捉えたらよいのでしょうか。物質中心主義、唯物思想の立場では、すべての存在物は対立物であり、対立関係にあると考えます。一方、それとは反対の考えが、すべての存在物は相対物であり、相対関係であるとする立場です。

あらゆる存在を対立関係と捉えるか、相対関係と捉えるのか——。これによってすべてが違ってきます。例えば心と体。心は善なることを求めながら体は悪を行ってしまうといった矛盾や葛藤があり、一見、対立しているように見えます。しかし本当の人格者は心と体が一致、言行一致しています。本来、心と体は、表裏の関係であり、相対関係です。

夫と妻は対立すべきものでしょうか。これも相対関係です。しかし、唯物思想では対立関係となります。対立と闘争によってすべてが発展するという理論なのです。第一次世界大戦と第二次世界大戦後では、第二次世界大戦の方がより科学技術や文化が発展したではないか。兵器などの開発でどんどん科学が発展したというわけです。つまり、戦争という対立、闘争がなければ、今日の科学の発展がなかったというのです。だから、対立することが重要で、それが発展のための鍵であるかのように言っています。

心と体も、夫と妻も対立ではなくて一体化しなければいけません。しかし、一般の世の中では、心と体が対立し、夫と妻が、親と子が対立していて、それが当たり前のようになっています。国と国が、文化と文化が、宗教と宗教が対立しています。しかし、よく考えてみて下さい。対立と闘争の果てには、発展ではなく崩壊しかないのです。

多くのマスコミは、政府と国民を分裂させるかのような報道をしています。共産主義者でなくても、知らず知らずのうちに、唯物思想的な考え方にみんな毒されているのです。体制としての共産主義は冷戦構造の崩壊とともになくなりましたが、思想として残り、今なお、大きな力をふるっています。

例えば学校でも「何を先生は言っているのか!」「教育委員会は何をしているのか!」と非難し、先生と生徒の対立を煽る人たちがいます。会社でも労使協調ではなく、常に対立し、組合は経営者を突き上げます。テレビのコメントも政府の悪口ばかり。実際、悪いところもありますが、一方的に対立の方向にもっていったり、それを繰り返してばかりでは衰退と崩壊しかありません。

家庭の中で夫婦がけんかをし、親子が断絶し、対立していて発展するでしょうか。家庭崩壊、さらには家庭解体があるのみです。これまでの歴史で、家長制度など家庭という単位は親子の絆によって壊れることはありませんでした。ところが今日、家庭崩壊という現象は珍しくありません。親の子殺し、子の親殺しなど恐ろしい事件が多発しています。これはすべての存在を対立物とみる、そういう方向へもっていくということが根幹にあるために起こっているのです。

天地を貫く本来の道理は、すべての存在関係は相対関係にあるということです。それこそがすべての成り立ちの根本です。このことにもう一度気が付かなければなりません。言葉は簡単ですが、このことはすべての価値観、歴史全体をひっくり返すほどの偉大な発見であり、大きな事柄なのです。こうした理念を「平和メッセージ」として私たちは訴えているのです。

大切な家庭教育

物を大切にする、人を大切に思う、ご先祖様に感謝する、そして神仏に手を合わせる——。こうしたことは人間として基本的なことです。それを教えるのは学校でも社会でもありません。基本は家庭です。しかも小さいころの家庭教育が重要です。家庭教育というと最近は、親が子供をいい学校に入れるために必死になるような、行き過ぎた学歴偏重主義になっています。家庭教育とは心情教育です。単なる知識ではなく、心情に響く話をしてあげることです。

私には、一人娘がいます。小さい時に、店でだだをこねることがありますね。子供は既に人形を持っていても、新しい人形をすぐに欲しがります。妻は海外ボランティアをしていたのですが、飢えている子供たちの写真を見せて、人形を買う方がいいか、そのお金で困っている世界の子供たちを助けた方がいいのか—— と娘に問い掛けたというのです。娘は悩みながらもじっくり考えた末に「この子たちを助けた方がいい」と答えました。妻は娘の頭をなで、「その通りだね」と言って褒めてあげたというのです。

頭ごなしではいけません。3歳の子供ならプラス7歳の10歳と思って、丁寧に説明すると、心情に響くのです。小学生のころ、私の家では、あえて娘にお小遣いもあげませんでした。しかし、その理由に納得していたので、親からお小遣いをもらっている他の子供たちを見て、「あそこの親は甘いね」などと評論家みたいなことを言っていたこともあります(笑い)。

心情教育の上に規範教育、その上に技術教育があります。心情の土台がきちんとしていれば、他の環境に左右されたり、支配されなくなります。

個人主義から家庭主義へ

現代は、個人の権利を最大限主張するようになってきました。それも大事なことですが、個人主義が台頭しすぎて、社会全体がおかしくなっています。なぜなら個人主義が真理ではないからです。人間として個人個人の自由と命は大切です。しかし、どんな男、女でも一人では一人前ではありません。男女が夫婦になり家庭を持って一人前です。一人ではベターハーフと言うように「よりよき半分」でしかないのです。さらに子供がいて、父、母という称号がもらえます。これは尊い称号です。夫と妻、父母と子がいての家庭、これが基本単位です。個人の尊厳性、自由や人権が抑圧された時代から見れば、それを取り戻すための個人主義は、一時的にはそういう時代が必要だったけれども、これからは本来あるべき姿、家庭主義の時代です。

個人ではなく、家庭こそが世界、全宇宙の縮小体です。父と母、子供がそれぞれ別々になって対立すると、世界はおかしくなります。そうした個人主義の時代から、今や家庭主義の時代へと戻ってきているということを自覚すべきです。家庭という土台がしっかりあれば、子供が社会に出て、いろんな試練や誘惑にあっても乗り越えることができます。夫婦、親子が結束して育んだ土台があれば、いろんなことがあっても復元力があるというのです。

今日、経済問題や政治的問題など、いろいろなことで社会が揺れ動いています。しかし、それが本質的問題ではありません。かつて「貧しいながらも楽しいわが家」という言葉がありましたが、今、物質的に満ち足りた飽食の時代といわれ、精神的にはかえっておかしくなっています。むしろ物がない時代の方が家族の絆が強く、どちらが幸せかと思うくらい不思議な状況に今、日本をはじめ、先進国はみなそうなっています。

改めて、すべての物は対立関係ではなく、相対関係であり、協力、協調し合っていく関係なのだという目で世の中を見ていくことです。そうした意味で、例えば真の家庭運動でのボランティア活動は重要です。小さな一歩一歩が非常に大事。こういったものに子供のころから家族ぐるみで参加することで人格教育にもなります。最近は地元のテレビやFMラジオのニュースなどに多く取り上げられたりしています。

家庭が再建されていけば、明るい家庭、豊かな社会、美しい日本、そして平和な世界へとつながっていきます。その基本は明るい家庭です。私たちがそうした考え方で取り組んでいけば、素晴らしい日本の未来が開かれていくに違いないと確信しています。