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父の子育て3

コラムニスト 大森浩一郎

妻を愛する資格

まだ妻が次男を身ごもる前であるから、もう10年前のことだ。私の仕事はとても忙しく、帰宅は夜11時近くになることが多かった。会社に泊ることもしばしばであった。

そんなある晩、クタクタになって帰宅すると、家の中は荒れ放題。妻は洗い物もせずにボーッとテレビをながめ、子供たちは紙くずを散らかして走り回っていた。

「一家の主人が疲れて帰ったのに、何だ!」

私は怒鳴った。共働きの妻は、自分の事情を主張し、言い争いになった。長女と長男は、目に涙を浮かべて二人で手を握り合い、不安そうな顔で私たちを見つめていた。その姿が私の怒りを静めた。そして、「もう夫婦喧嘩はしない」と子供に誓った。

私は反省した。「夫が仕事で疲れて帰ってくるのだから、心身が休まる環境を整えておくのが妻の務めだろう」という思いだけに支配されていたのだ。

むろん、この考えは間違いではない。正論だ。しかし、人間は理屈だけで生きているわけではない。理屈よりも大切なものは、愛なのだ。

私には、その愛が足りなかった。荒れ果てた家の中を見たとき、真っ先に「家事ができないほど疲れている妻」を心配するべきだったのだ。それからは、妻が疲れているときは私が家事をするようにした。それくらいできなくては、妻に「愛しているよ」と言う資格はない。

もちろん、意識は急に転換できない。初めは、玄関の前で深呼吸し、「どんなに散らかっていても怒らないぞ」と決意を固めて家に入ったものだ。

今では、私たち夫婦は仲が良い。結婚してもうすぐ17年になるが、今でも手をつないで歩く。近所でも評判のラブラブ夫婦だ。

部屋の掃除や食器洗いなどは、妻よりも私の方がたくさんこなしている。共働きなのだから、家事をすべて妻に押し付けるのは良くないと思う。部屋をきれいにして妻子が喜んでくれることが、素直にうれしく感じる。なぜあのとき、あんなに怒鳴ってしまったのか分からない。

わが家の「歴史的な夫婦喧嘩」の後に生まれた次男は、4歳ときに私の耳元でこうささやいた。

  • 「ぼく、大きくなったらパパになる」
  • 「へえ、どうして?」
  • 「パパになったら、ママと結婚できるから」

この上ない言葉である。4歳の子供を通して神様が語ってくれたのだと思う。

夫婦が仲良くすれば子供たちが喜び、子供たちからこのような言葉を返されれば私たち夫婦も喜ぶ。わが家は、喜びの中ですべてが回っている。