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誌上講演会

森山 操

幸福な人生を目指して

人生は「出会い」が大切

幸せになる人生の一つのポイントは「出会い」です。どんなに頑張っても出会いが悪かったら幸せになるのは難しいのです。誰もが、良い妻、夫をもちたい、良い部下、上司に巡り合いたいと思いますね。それは、先祖からの「繋がり」に関係しています。誰も「白紙」では生まれてきていません。いろいろな背景の下で生まれています。出会いや人との縁は、先祖の愛の成績、徳の成績が関係しているのです。ご先祖の愛の成績が90点なら「90点の出会い」になるのです。

よく「不運の星、あるいは幸運の星に生まれる」と言いますね。これを一般的な言葉で言うと、個性、素質、性質といいます。例えば同じ夫婦から生まれた兄弟でも性質は違います。兄はまじめにコツコツ頑張るわりにはうだつがあがらない。一方、弟はまじめなタイプではないが、調子よく世渡りしていくということがありますね。

人はそれぞれユニークな星の下に生まれています。それをよく知ることが大切です。そして良い出会いの中で幸せになっていくためには、ご先祖の愛の成績を、例えばマイナス30点から90点にしてあげることです。そのためにすることを「供養」と言うのです。

「供養」は迷信などを信じる人がすることではなく、人が生きていく上で、気配りしなければならない常識的な人の道です。お墓参りするにも、前回が花1本なら、今回は花2本にするとか、ご先祖に対して良い気配りをしてください。それが良い運勢に転換し、良い出会いとなっていくのです。

供養は、それをする心が大切です。私たちは自分の悩み、苦しみを人に知ってもらうと慰められますね。ご先祖たちも同じです。「おじいさん、それは大変でしたね。よく頑張りましたね」と思う心が大切です。そのような心を、「豊かな心」「磨かれた心」「真の愛」と言うのです。だから供養とは、ご先祖を豊かな心で、よく知ってあげる、つまり「先祖を愛する」ということです。

幸せをつかむための教育

どんなに根っこがよくても、水や肥料をやらず、雑草を取らなかったりすれば、花は枯れてしまいます。すなわち、幸せをつかむ人づくりが必要です。つまり教育です。教育には学校教育、社会教育、企業の教育などいろいろあります。しかし、学校へ行っても、会社へ行っても人は家庭に帰ってきます。家庭が教育の土台なのです。

それゆえ、幸せをつかむ人づくりには家庭が、「真の家庭」でなければなりません。真の家庭は、明るく円満でなければなりません。「明」という字は日と月からなっています。日はお父さん、月はお母さんを表します。お父さんとお母さんが一つになっている家庭、それを明るい家庭と言うのです。自分独りで頑張ることは素晴らしいですが、それは明かりとしては、ロウソクの明かりです。ロウソクより明るいのは電気ですね。電気の明かりはプラスとマイナスという相異なったものが一つになった時に明るくなります。ですから夫と妻が、つまり性格や考え方、育ちが違う二人が一つになって、明るい家庭になります。嫁と姑、生きた時間も、好きな食べ物も違う二人が一つになった時、もう一つ電気の明かりがつきます。

もちろん、一つになるのは簡単ではありません。完璧な夫、完璧な妻などいません。皆、良いところもあるけれども、足らないところもあるのです。お互い足らないところを指弾するのは、心の浅はかな人でもできます。お互いの足らなさを補い合って一つとなっていくのです。だから相手の足らないところを見たら喜んでください。それはあなたが補って上げられる部分です。そうして一つとなって明るい家庭となり、幸せをつかむ人づくりができるのです。

さて、ロウソクよりも、電気よりも、もっと明るい光があります。それはお日さまです。では太陽のような明るさと暖かさがある家庭とは何でしょうか。それを分かりやすい言葉で言うと「家内安全」です。それは福運が呼び込まれている家庭です。昔の人は「笑う門には福きたる」と言いました。笑い声の絶えない家庭、家族皆が心一つになって笑い声の絶えないような家庭が「太陽」の家庭です。そういう家庭から、非行少年や夫の浮気、離婚などの問題は起こりえません。

家族皆が自分のことを分かってくれている、つまり良いところ、頑張ったこと、苦しみ、悩み、痛み、すべてを分かってもらっていると思えれば、家族の心が一つになります。お互いを、「豊かな心」「真の愛」「磨かれた心」で理解することが大切です。

また、私たちはいかに自分自身が苦労しようとも、自分の子供や孫には幸せになってほしいと思いますね。つまり「子孫繁栄」です。いい子が生まれて育たなければ子孫繁栄はありません。子供は親の愛の結晶と言われます。お父さんがどんなに立派でも、見せてあげられるのは、親の愛の半分です。お母さんがどんなに素敵でも親の愛の半分です。お父さん、お母さんが一つとなって、初めて山よりも高く、海よりも深く、宇宙よりも広い、親の愛、つまり神様のような心持ちを見せてあげることができるのです。その出発の儀式が「結婚」でした。

「うしろ姿」に気配りを

愛は、聞けばいい話ではなく、話せばいいことではありません。愛とは具体的なこと、私たちの生き様です。私の父は第二次世界大戦で戦死しました。母は私が小学校2年生の時に好きな男の人と駆け落ちしました。私と弟を置いて家を出ていったのです。私は母が自分を捨てるはずがないと、学校が終わると雪の日も雨の日も、母を迎えに駅まで行きました。でも母は帰ってきませんでした。お腹を痛めて生んだ子供さえ捨てていくという事実に人間が信じられなくなり、その頃は心がすねていました。

そんな私を素直な心に育つ礎をつくってくれたのが、育ての母です。その母は「勉強しろ」とか「人生とはこうだ」などとは一言も言いませんでした。その母の後ろ姿に人の道の生き様を見せてもらったのです。私は小学校の時、母の財布から1日5円盗っていました。当時、紙芝居がきていて、どうしても見たかったのです。シリーズものなので、毎日続きを見ていました。母はそれを叱りませんでした。

ところが、ある夜トイレに起きたら、母が仏壇の前で自分の手を火箸で叩きながら、「操ちゃんは、心はいい子なんだ、5円を盗るこの手が悪いんだ」と、祈りにもうめきにも似た声をあげていたのです。私はその後ろ姿を見たとき、叱られるよりつらい思いになり、泣きながら「お母さん、操は二度と5円盗らない」と言いました。それが育ての母を「お母さん」と心から呼んだ瞬間でした。

ひねくれるか、素直に育つか、一つの人生の節目の時に、仏壇の前でひれふす母との出会いがなければ、今日の私はありませんでした。人は何を言われたかではなく、何を見たかです。皆さんは見られています。後ろ姿への気配りを大切にして下さい。

小学校4年のクリスマスを迎える時、私は「お母さん、私の家にもサンタクロース来るね?」と尋ねました。母は「来るよ」と言いました。次の朝、枕元に「操さん」と書かれた新聞紙の袋がありました。それを開けてみたら、それまではいていた穴の開いた靴下が、きれいに継ぎをして入れてあったのです。新しい靴下を入れたかったけれどお金がなかったわけです。母はどんな思いで一針一針縫ったでしょうか。そこに込めてくれた母の真心が今、年とともに誰にも奪われない暖かい心の塊となって私の中に広がっていくのを感じます。

戦後、日本は物が豊かになりました。幸せとは、表現を換えれば豊かになることです。しかし、経済の発展とともに、心も豊かになったでしょうか。心は「自由」の下にわがままになったのではないでしょうか。物が豊かになることは素晴らしいですが、肝心の心に対する気配りが乏しくなったことのツケが今きているように思います。改めて、本当の幸せ、本当の豊かさのために、お互い気配りをし合い、「真の愛」「真の家庭」を目指して努力してまいりましょう。