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誌上講演会

真の家庭運動推進協議会事務総長 丸岡正策

家庭時代の到来(上)

家庭は人生の出発点であり終着点

今の日本は家庭の問題が非常に深刻です。私たちは真の家庭運動を進めていますが、そもそも家庭とは何なのか、三つの観点からお話ししたいと思います。

まず第一に、家庭とは人生の出発点であり終着点です。私たちは誰も自分一人で生まれたわけではありません。両親から生まれたのであり、その両親もまた祖父母から生まれています。遠い先祖の人たちがいて、初めて私という人間が存在しているわけです。

私たちは父母に願われてこの世に生まれてきます。中には、親から望まれないで生まれた子もいるかもしれませんが、本来の形ではありません。やはり、子供は両親や家族から待ち望まれ、歓迎されて生まれてくる子宝であり、まさに宝物です。

また、100年前後の人生を終えて死んでいく時に、身寄りがなく一人きりだと寂しいでしょう。路頭に迷ったままで死んでいくのは、誰も望みません。親しい家族に見守られ、皆に「ありがとう」と言ってあの世に旅立ちたいと願っています。それが、最期を迎えた本来の人間の姿だからです。

東京など大都市には路上生活者が多くいます。失業など様々な理由でホームレスになってしまうのは、頼れる人が誰もいなく、家族との縁が切れているからで、路上生活せざるを得なくなるのでしょう。

誰もが愛する家族に看取られて死んでいきたいと思うように、家庭は人生の終着点でもあります。人生の出発点であると同時に終着点であることが、家庭の第一の価値なのです。つまり、家庭は人生そのものであると言うことができます。

子供が夫婦を一つにする

何事にも出発点は大事です。誰もが歓迎されて人生を始めたいと思うでしょう。ところが、そうではない現実が増えています。いろいろな事情があるにせよ、夫婦が望まないで子供を産むことは、あってはなりません。

夫婦の間に願われるのは子供の誕生です。子供を授かることで、私たちは初めて親の喜びを体験することができます。

夫婦にとっても、子供を授かることは人生の新しい出発です。そのときの気持ちと決意が、それからの生活を決めると言っても過言ではありません。愛する子供のためならすべてを捧げてもいいと、普通の親なら思うでしょう。子供を授かることで、夫婦は喜びや思いを一つにし、結束するのです。

「終わりよければすべてよし」と言われるように、人生の歩みを終えてあの世に旅立つときに、「つまらない人生だった」「やり残したことがある」と悔やみ、嘆くことは、誰も願いません。「本当にいい人生だった」「いろいろあって苦労もしたけど、家族仲良く過ごすことができてよかった」「もし今度生まれてくるときがあれば、あなたと出会い、また同じ家族でいたい」と思って人生を終えたいはずです。

家庭は愛の学校

第二に、家庭は愛の学校です。これは真の家庭運動のキャッチフレーズでもあります。地上に生まれた子供が最初に出会うのがお父さん、お母さんです。赤ちゃんは両親をはじめ家族から大切にされ、父母の愛情を受けて育ちます。お父さんがいくらあやしても泣いてばかりいた赤ちゃんが、お母さんが抱いた途端に泣き止むことがよくあります。お母さんは自然に赤ちゃんに接するのに、お父さんは何となくぎこちないのです。

子供は兄弟と遊び、時にはけんかしたりしながら、その中で人間関係を学んでいきます。兄弟が多いと、人間関係でもまれながら成長し、人格が陶冶されます。だから、兄弟は多いほうがいいのです。と言いながら、残念ですがわが家は一人娘です。最初に娘を思いのほかすんなりと授かったのですが、その後、2人目、3人目、4人目、5人目を立て続けに早期流産してしまいました。

私は3人兄弟の長男で弟と妹がいて、妻は3人兄弟の末っ子で、兄と姉がいます。兄弟関係は実にいいもので、私は弟や妹に対して、できることは何でもしてやりたいという思いは常に持っています。兄弟関係の延長上に友達同士の友情がはぐくまれます。家庭の中で父母の愛を受け、兄弟同士の愛を育て、年頃になると異性への愛情が芽生え、やがて結婚します。

たった一人の夫と妻というのは本当に不思議な関係です。親子は一親等ですが、夫婦は無親等、赤の他人同士ですが、特別な関係なのです。夫婦の愛情は、結婚して初めて体験するようになります。友情でも恋愛感情でもありません。日本語では伴侶、英語でベターハーフと言うように、よりよき半分です。男性はどんなに立派に見えても、威張ってみても、一人だけでは半分でしかなく、隣に夫人がいなければなりません。人生を百点満点だとすると、どれ程、立派な仕事をし、出世した男性でも、結婚せずに夫婦そろっていなければ、最大でも50点です。夫人と合わせて100点になるので、夫婦はそれを目指さなければなりません。

小泉元首相は一時期、国民的人気を背景にいろいろな改革を行いましたが、残念ながら離婚していたので、公式行事に夫婦同伴で出られませんでした。一国の総理として夫人のいないことが、やはり不自然に思われました。国内外を問わず、公式行事には夫婦同伴で出掛けるのが本来の姿ですから。

父、母というのは貴い称号

私事ですが、6年半前、妻が海外で事故に遭い、脳幹出血を起こして、奇跡的に命は助かりましたが、寝たきりになってしまいました。それまでは私以上に元気で、マラソンをしても山登りをしても私を追い抜いていたくらいです。見ること聞くことはできるのですが、体は右手の指で何とかグーチョキパーをできるくらいで、自分で寝返りをうつことさえできません。丸4年の入院生活を終え、今は家庭で私と娘が交代で介護しています。

そんな極限状況の夫婦ですが、たとえもう一度生まれてきても、妻と出会いたいと思う程、大切な人です。夫婦は永遠に添い遂げていくものですから、こういう心境になれたことが、今ではありがたいと思っています。

私の娘は今、大学2年の21歳。7年間、韓国に留学していましたが、母を介護したいと言って帰国し、日本の大学に入りました。ところが、毎日、一緒に生活するようになると、ささいなことでお互いの欠点が気になります。一人で大きくなったように思っているところがある娘に怒ることもありますが、小さい頃はかわいかったし、目の中に入れても痛くないと思ったものです。特に父親にとって娘は、恋愛感情にも似て親バカそのものでした。

親になって初めて親のありがたさが分かります。自分のことを後回しにしてでも、子供を慈しみ、育てるのが父母の愛です。子供は親に感謝し、その愛に応えていこうとすることで、子供自身の愛の世界が深まります。

私は小学生の頃、学校の映画鑑賞会で野口英世や偉人の物語などを見て、これからは親孝行しないといけないと思ったことがあります。思春期は反抗もしますが、一面では親を大切にしよう、親を喜ばせよう、親に楽をさせたいという気持ちが芽生えてきます。これは親に対する子供の愛情で、それによって少しずつ大人になっていくのです。

愛には大きく分けて、父母の愛、子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛の四つの種類があります。それを体験していくのが家庭ですから、家庭は愛の学校なのです。どんなに夫婦仲がよくても、子供がいなければ寂しいでしょう。子供がいなければ父母にはなれません。父、母というのは博士号よりも貴い称号で、子供を持つことによって授けられるものです。 (つづく)