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誌上講演会

2009年4月26日、神奈川県・平塚市民センターでの講演より
鈴木博雄 筑波大学名誉教授

日本の再建は家族の再生から(上)

明治以来の日本の近代化を、戦後の奇跡的な復興を縁の下で支え続けてきた家庭が崩れようとしています。

しっかりしていた日本の家庭

私はもうすぐ80歳になります。第二次世界大戦が1945年に終わってから60年以上になりますが、私にとって日本の敗戦は人生の大きなショックでした。当時よく言われていたのは「虚脱状態」という言葉です。日本国民全体が、まさに呆然としていました。これから先、どう生きていったらいいのか、日本は一体どうなるのか、全く分からなかったからです。当時、20歳前の学生だった私も、その一人でした。

今と違ってその当時の国民は、国の方向性、生き方が決まらないと、自分の生き方も決まらない、国の方向性が決まれば、それに尽くすべき自分の生き方も決めよう、という教育を小さい頃から受けていました。それが悪い方向に行ってしまったのが戦争でした。ですから、戦争に負けて、これから国がどうなるのか分からなくなったため、国民は虚脱状態になってしまったのです。

しかし、虚脱状態にはなりましたが、今から考えてみると、日本の社会は今日のような混乱状態ではありませんでした。日本が歴史上初めて外国との大きな戦争に負けたにもかかわらず、今のようには混乱しなかったのです。なぜでしょう。それは、日本の家庭がしっかりしていたからです。

確かに国は戦争に負けてしまいました。これからどうなるか分かりません。しかし、日本の家庭は揺るぎもしませんでした。そのことを私は今になって、改めて、やはりすごいことだなと思うわけです。当時はそれが当たり前で、もっぱら国の将来ばかり心配していましたから。

世界のどの国も、敗戦後は大混乱の状態が続きます。日本も確かに混乱はありましたが、社会的にはしっかり落ち着いていました。それは、国の動揺にもかかわらず、日本の家庭の基礎がしっかりしていたからです。

そうしたことから考えますと、明治から今に至るまで、日本の国の一番の基礎になり、縁の下の力持ちとして発展を支えてきたのは、やっぱり家庭であり、今の混乱を立て直していくのも家庭の再生からだと思うのです。

酒鬼薔薇事件のショック

私の戦後の第二のショックは、1997年に起きた神戸の連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇事件」でした。14歳の少年が複数の小学生を次々に殺害し、切り取ったその首を校門に置いて、しかもマスコミに向けて「おれがやったのだ」という犯行声明を送りつけたのです。こんな人間が日本人の中から出てきたのかと、国民の多くが大きな衝撃を受けました。さらに、そんなことができるのは精神に異常をきたした大人に違いないと思っていたのに、逮捕されたのが14歳の少年だったと分かり、二重のショックを受けたのです。

ちょうどその頃、私は学位論文を書いていて、自分の教育関係の研究を完成させたいと思っている最中でした。いくら考えても、今までの日本人に酒鬼薔薇聖斗のような人はいません。人を殺しておいて、社会に向けて威張っているのです。これは、今までの日本人と価値観がまるで違う人間で、そんな人が出てきたことに大きな衝撃を受けました。

そこで、学位論文どころではないと思い、どうしてそんな人間が出てきたのか集中して調べました。そして、明治以来ずっと日本社会の基礎になり、支えてきた家庭がぐらつき始めていることに気づいたのです。そこで私は、家庭のことを本格的に研究しようと思いました。当時、まだ多くの人たちが日本の家庭はまだ大丈夫だと思っていましたが、それまでの家庭とは違うものになり始めていたのです。

考えてみますと、終戦から酒鬼薔薇事件の頃までは60年近くで、その間に世代が変わっています。世代が変わり、新しい日本人が現れてきて、その人たちの象徴的な事件が酒鬼薔薇事件だったのです。

バブル経済で失われたもの

1980年代後半の日本は、いわゆるバブル経済で、誰もが金儲けに狂奔していました。立派な企業まで、自分の資本金を使って不動産投機を始めたのです。地価が値上がりし続けたので、不動産を買っては売ることで大儲けができました。しかし、そんなことが長続きするはずがありません。90年代半ばにはバブルがはじけ、日本経済は一挙に不況になってしまったのです。

考えてみると、日本人は明治以来、外国をモデルに国づくりを進めてきましたから、国の外の動きに対しては非常に敏感で、時代の次の兆候が見えると、さっとその方向に動いてきました。それが、後進国でありながら、わずか30年で世界の先進国の仲間入りをし、戦後、あっという間に経済復興を果たした、日本民族のエネルギーの秘密の一つであったことは確かです。

しかし、世界の動きを敏感に見ている間に、じつは大事なものを一つ見失ってしまったのです。それは何でしょう。人間の生き方の一番の基になるもの、自分の内に向かう心です。国民一人ひとりも、絶えず世の中の動きを見て、それに自分を合わせようとしてきたため、人間とは本来どう生きるものかを考えるようなことがほとんどありませんでした。人の少し先を行くことで金儲けができたからです。その典型が、ご存知のホリエモンです。若いのに金儲けがうまく、法律の盲点を突いて、合法的に大金を手にしていました。それが、最後には違法なことをして逮捕されてしまいましたが。

当時、ホリエモンのそうしたやり方に、みんなは拍手喝采していました。「やるなあ」「若いのにやるじゃないか」というものです。しかし、そうやっているうちに、彼には正義というものが見えなくなってきていました。それが、20年ほど前からの日本人の一番致命的な問題です。正しいこととは何か、正義とは何かが見えなくなってきたのです。

なぜ、見えなくなってきたのでしょうか。本来なら、日本人は善悪を判断する心の力、霊の力、霊性、魂の力と言ってもいいのですが、そうしたものを持っていたのですが、いつの間にかそれがなくなってしまったからです。

霊性を失った日本人

皆さんは、昔から続いている巡礼やお遍路というのをご存知でしょう。私はある時期、四国に住んでいましたので、お遍路さんの姿をよく見かけました。毎年、菜の花が咲き、梅の花が香る季節になると、白装束のお遍路さんが、杖を手に88カ所の霊場をめぐり始めます。

お遍路さんは単にお寺を回り、お経を唱えてお参りするだけではありません。目的とする聖地にたどり着くことよりも大事なのは、歩きながら神様、仏様と対話することです。歩くことが修行であり、あるいは亡くなった人への供養なのです。言い換えると、自分の心の中で、自分の生き方について一生懸命対話することです。そういう習慣が日本には昔からありました。伝統的に日本人は霊性を非常に大切にする国民なのです。

平安時代末から鎌倉時代はじめにかけて活躍した、武士で歌人の西行が伊勢神宮を参拝した時の歌に、「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」というのがあります。伊勢神宮は日本の皇室の祖神である天照大神をお祀りしていますが、そんなことは知らなくても、巨樹が立ち並ぶ鎮守の森の参道を歩いていくうちに、何かしら心を打たれ、厳粛な気持ちになります。これが日本人の霊性です。

ところが今はどうでしょう。そんなものはありはしない、必要ない、と多くの若い人たちは思っています。本当に、そういう霊性はないのでしょうか。自分の目が外ばかりに向いて、自分の内側に向いていないから、気が付かないだけなのです。

これからの混乱する時代の中で一番大事なことは、一人ひとりが自分の心の奥に目を向け、指導者に言われるからではなく、自らいかに生きるべきかを考え、決断し、確信を持ってしっかり生きていくことです。そしてしっかりした家庭を再生していくこと、それが日本再建の一番の基礎になるのではないかと思います。

多くの人は、そこまで突き詰めて考えないで、すぐに政治が悪い、社会が悪いなどと言ってお茶を濁していますが、もっと深く考えてみると、日本国民全体が、正しい生き方、魂の正しいあり方を忘れ、見失ってしまっていることに気づかされるはずです。 (つづく)