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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

春は軽く明るい青年の季節の上に、奥も深い

♪山の3月 そよ風吹いて どこかで春が 生まれてる〈百田宗治作詞「どこかで春が」の一節〉—。ついこの前に年をまたいだと思ったら、28日が末の2月も過ぎて、もう弥生3月。「1月往ぬる、2月逃げる、3月去る」というから、流れゆく時の早さにぼやっとしていると3月までもすぐに行ってしまいそうだ。

二十四節気の立春は1か月ほど前の2月4日だが、実感する2月は少し違う。かすかな春の気配こそすれ、まだ1年でもっとも厳しく冷え込む厳寒のころ。今年の東京では、1日に初の積雪を記録し、立春の日も気温が氷点下となる「真冬日」の冷え込みだった。

トルストイは「地球の皮を剥いでも春はやってくる」と言い、いま迎える3月は私の誕生月でもあるが、実をいうと余り好きではない。例年、体調の方がイマイチになることが多い季節の変わり目だからだ。春になったとはいえ、その気候とまだ冬仕様のままの体とは、そう簡単にはマッチするはずがない。そのアンバランスを調整する期間にあたるのがどうも3月のようで、何となく体をけだるさが支配する。

体は、まだ眠っているところを無理に起こされた時のような不快感とけだるさが抜けなくて、シャキッとしない。パッパッと頭の方で考えるようには体が対応して動けなくなってもきた。虫が地中から顔を出す啓蟄(6日)と春分(21日)のある仲春の3月は春たけなわといっても、陽気の方はようやく温かくなってきたところ。寒さに縮こまり、固まってしまった冬眠状態からまだ覚めない若くない筋肉だから、少し温かくなったからといって、すぐに全力疾走するまではいかない。ウォーミングアップする時間も、人よりは入念に長くとることが必要になってくる。

還暦を過ぎた体は、生理的にもそうなり、そういう年になったのだという自覚も必要になってくる。義母がよく口癖のように「年寄りのことは年寄りになってみないと分からないものだよ」と呟いていたのが思い出される。

春は、草木が芽吹き、花がみずみずしさを匂い立たせ、万物がゆったりと力を漲らせる、軽く明るい青年の季節には違いないが、もう一つ違う一面もあって奥が深い。のどかさを「春風駘蕩」、薄ら寒い感じを「春浅し」という。もの思いにふける「春愁」や「春恨」の季節でもある。

2月の梅、4月の桜の合間となる3月の花は、銀色を輝かすネコヤナギや淡い白やピンクの無数の花が主役(例えばバラ)を引き立てるカスミソウが似合っている。

〈猫柳朝の光は 海より来〉加倉井 秋を