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誌上講演会

真の家庭運動推進協議会副会長 太田洪量

夫婦関係と子供の教育

「父母の原型」と実際の親が分離すると、深層心理にトラウマとなり、いろいろな問題として現れてくる

実の父母と理想の父母

最近幼児に興味があり、電車の中、バスの中、路上等、幼児を見かけると注目して見ています。なぜその年代の子に関心があるかというと、人の目を一切といっていいほど気にせず、自分の感情をありのままに出しているからです。

先だっても横浜市営地下鉄を降りて、新横浜駅から新幹線に乗ろうと地下鉄のプラットホームを歩いていた時のことです。前を3歳ほどの女の子が、母親と手をつないで歩いていました。父親らしき人はスーツケースを引きながら、急ぎ足で階段に差し掛かろうとしていました。ところが女の子は、母親の手をぐいぐい引っ張って父親に追い付き、あいていた左手で父親の手を握ったのです。父親と母親に手を引いてもらいながら、うれしそうに階段を上って行きました。そういえばうちの子が小さい時も、我々夫婦の手を握って、とび跳ねながら喜んで歩いていた姿を思い出しました。母親だけでも足りず、父親だけでも不足、両親と手をつないでこそ、子供は幸せなのでしょう。

20年以上前のことです。大阪で教育問題の講演をした時の話です。終わった後の懇談の場で、ある男性が次のように語られました。「10年以上も登校拒否の子供を見てきた。その子の家庭を何度も訪問した。それで共通の問題があることが分かった。登校拒否の子供がいる家庭は、夫婦関係が長い間にわたって冷え切っている。100%そうだと言ってもいい」ということでした。昨年12月、ある塾の先生からもこんな話を聞きました。塾の子供たちは、勉強に意欲を出したりそがれたりするが、後者の場合、父母の喧嘩や口論が原因になっていることが多い、と。このように夫婦関係が子供に心理的ダメージを与えることは、この例を見ても分かりますし、昔からよく言われてきたことでもあります。

これをどのようにとらえたらいいのでしょうか。河合隼雄先生の『家族関係を考える』を参考にしてみましょう。この本の「二人の母・二人の父」の小見出しの文中に、「ここに『母なるもの』という表現をしたが、我々人間の心の奥底には『母なるもの』というべき存在の原型が潜んでいるように思われる。……このことは、父親に対しても言うことができて、『二人の父』の主題も多く存在する」と記されています。要するに、どんな人間も二人の父、二人の母を持っているというわけです。二人とは誰のことを指しているのでしょうか。もちろん一人は、自分を生み育ててくれた父、母です。では、もう一人は? いかなる人間も心の奥底に、いわば生まれながらにインプットされている父、母がいる、しかもそれは理想の父親であり、母親であると考えられるというのです。家族関係をずっと追いかけてこられ、また心理学を極められた河合先生です。おそらく、人間が抱えている問題を突き詰めて行くと、心理学的にそうとらえざるを得ないというわけでしょう。

「父母」の分離がトラウマに

さてここからは筆者の推論です。では、人間の心の奥に、生まれながらに無意識のうちにインプットされている、理想的父親と理想的母親の原型、その二人の関係はどのようになっていると考えられるでしょうか。その夫婦仲は悪いのでしょうか? いいのでしょうか? かつてある友人から聞いたことがあります。彼は、家が貧乏で苦学して大学に学んだ人です。高校、大学と奨学金をもらいながら卒業したのですが、その間母親が本当に苦労した、それで母親を思う気持ちは人一倍強かったと。しかしその彼が母親に一点だけ不満があったそうです。母親としては仕方がなかったことでしょうが、時折母親が、父親の愚痴をこぼしていたそうです。それだけは言ってほしくなかったし、母親の口から聞きたくなかった、そういう母親だけは嫌だった、と。

インプットされている父母像が、理想的な父母としての原型であることを考慮すると、夫婦仲が悪い原像とは考えられません。逆にその原型は、仲睦まじい、夫婦相和す、夫婦一体となっているのではないでしょうか。生まれたばかりの赤ん坊、生後1カ月、2カ月……の赤ん坊は、(それがいつまで続くか、人によって違うのは当然ですが)自分を生み育ててくれている父母と、心の奥底にインプットされている原像が重なって見えているのではないでしょうか。それがもし子供の目の前で、夫婦が喧嘩したりすると、原型と実際の親との分離が始まる、これが人間の深層心理にトラウマとなって残っていく、それだけでなく心のいろいろな問題として現れてくるのではないでしょうか。

こういう話はよく聞きます。自分の父母の姿を見ていると結婚したくない、と。ここに米国のデータがあります。片親家庭が10%増加すれば、10代の凶悪犯罪率は17%上昇するというものです。

筆者は12年近く、南米パラグアイにいました。そこで見た忘れられない光景があります。首都アスンシオン一豪華だと評判の家を訪ねたことがあります。庭に、プール、テニスコート等は言うまでもなく、照明設備付きのサッカー場までありました。プール付きの家は多く見かけましたが、さすがにまともな広さのサッカー場付きは、そこだけでした。また夫婦の寝室もゆうに50畳以上あったでしょうか。接待してくれた、その家の女主人に、気になっていたことを尋ねてみました。「玄関に、4、5歳の女の子が立っていましたが、お宅のお子さんですか? どうなさったんですか?」「父親が出て行って以来、いつもああやって父親の帰りを待っている」との答えでした。「そうか、別居状態だったのか。どうりであの女の子、寂しい表情をしていたなあ。あの子の心に、深い傷として残るな。大きくなったらどうなるだろう」と思わざるを得ませんでした。

家庭における教育とは?

このように考えてくると、子供の抱える問題について子供と父親、子供と母親との個対個の関係からのみ見る時には、大きな片手落ちになってしまいます。父母対子、親の夫婦関係と子供という新しい視座から見つめ直す必要があるということになります。言うまでもなく子供は、母親のみで生まれ出たわけではなく、父親だけで生まれてきたわけでもありません。父母の、夫婦としての関係性の中で生まれ出たことを考えると、同様に、親の夫婦としての関係性の中で育っていくと見た方が自然ではないでしょうか。もちろん子育てにおける父の役割、母の役割はあるでしょう。しかし、夫婦が分裂した状態で、役割の分担がうまくいくでしょうか。そもそも家庭における教育とは何でしょうか。父親が子供に算数を教えた、母親が裁縫を教えた、そういうものは学校教育の補完であって、家庭教育のメインではありません。学校で教えることができないことを家庭で教育する、それが主たる家庭教育の内容のはずです。

よく『三つ子の魂百まで』といいます。まだいろいろなころの分別がきかない3歳までに何を教えるというのでしょうか。しつけや知識よりも奥にあるもの、人間としての最も根本にあるもの、人間の深層心理と関係するものではないでしょうか。それこそ情操面の教育であり、愛情面の教育だと考えられるのです。そこに、ゆがみが生じないように、トラウマができないように夫婦仲良く、相和することが肝要ではないでしょうか。