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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

俳句歳時記に見る真夏を詠む俳人の生命力

1年で一番暑い8月を迎える——。こう書き出しただけで体の記憶は”ビクッ”と猛暑に構えて拒絶反応を起こす。今年は、梅雨も東京では湿気に加えて最高気温も30度を越す真夏日が多かった。それに歳のせいも加わって、夏バテを前に梅雨バテだった。

だが、暦の方では早くも上旬に秋の入りを告げる「立秋」(今年は7日)を迎える。それでも暑い暑い夏は続き、避暑を求めて川や海へ水辺に親しむのだが、立秋の次にくる二十四節気の一つに「処暑(しょしょ)」(今年は23日)がある。立秋が秋の入りを告知するのに対して、処暑は「暑さが止む」という意味。それがどうしてどうして暑さは止むどころか、まだ居残っていよう。

それでも処暑から数日と立たないうちにある朝、すーっと一陣の涼気が空から下りてくる。「新涼(しんりょう)」と言い、秋になって初めて感ずる涼しさである。8月は暑さ一色のようでも、後半はそれに涼色も交じり、夏から秋への端境期となる。俳句の季語では「暑し」はもちろん夏の季語だが、「涼し」もまた秋ではなく夏の季語。その一方で「新涼」は秋の季語だから、俳句は難しいというべきか奥が深いのか。

俳句歳時記に親しんでいることは前にも書いたが、この時候を17文字に凝縮して表現した俳人の暑さをものともしない生命力には舌を巻く。そんな真夏の俳句歳時記を。

まず、暑さ真っ盛りの処世句から。「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」(村上鬼城)。今年の大暑は7月23日。「炎天の地上花あり百日紅(さるすべり)」(高浜虚子)。真夏にへこたれず100日もの間、真っ赤に咲き続ける艶のある樹のオーラに元気を得る。「炎熱や勝利の如き地の明るさ」(中村草田男)。炎天といい炎熱といい、真夏の生命讃歌の気力には脱帽である。

松尾芭蕉・奥の細道の「五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川」はよく知られているが、同じ最上川をさらに雄大に詠んだ「暑き日を海に入れたり最上川」という句もある。

花火写真

最後は故郷の水辺と花火を詠んだ納涼二句で。「夏河(なつかは)を越すうれしさよ手に草履(ざうり)」(与謝蕪村)。「ねむりても旅の花火の胸にひらく」(大野林火)。子供の時のように小川を渡った懐かしい気持ち、ちょうど居合わせて見た花火の美しさに共感するだけで、涼しさが伝わってくるのではないか。