機関誌画像

父の子育て 21

コラムニスト 大森浩一郎

愛の仕分け

4年前、体調を崩して入院した。

当時はとにかく仕事が忙しかった。会社に泊まり込むこともしばしば。食事はコンビニ弁当やカップラーメンがメーンとなっていた。もともと肝臓が弱いことも相まって、とうとうダウンしてしまったのだ。

日ごろの不摂生がたたったのだと思っていたが、医師からは「ストレスが大きな要因になっている」と指摘された。意外だった。確かに仕事は忙しかったが、自分ではストレスを感じている自覚がなかったからだ。嫌な仕事を我慢しているのならまだしも、私は仕事が好きであった。好きだから、徹夜だろうが会社に泊まり込もうが、仕事ができたのだ。休日も家で仕事をしていたが、苦にならなかった。

その旨を医師に告げると、さらに意外な答えが返ってきた。

「ストレスの正体は、好きとか嫌いとか、忙しいとか、そういうものではありません。愛の仕分けができていないことなのです」

「愛の仕分け?」

「そうです。愛には大きく分けて、自己愛、家族愛、社会愛があります。これらを仕分けできず、混同してしまうと、ストレスが生じるのです」

「はあ…?」

「大森さんの場合は、自分の身体を愛さないで、仕事ばかり愛したのです。自分に対して社会の厳しさを課していたんです。また、家庭を愛さないで、自分ばかり愛した…、つまり自分が好きな仕事ばかりしたのです。それがストレスを起こしたのです」

同様に、家庭に社会の厳しさを持ち込めば、冷え冷えとしたものになる。社会に自己愛を持ち込めば、無法地帯になる。愛の適用範囲を間違うと、ストレスが生じるというのだ。愛のカテゴリー・エラーだ。医師の説明に「なるほどなあ」と感心した。

体調を崩している中で、頼りになったのは家族であった。妻が入れてくれるお茶や、子供とのたわいのない会話に、この上ない喜びを感じた。本当は、毎日このようなことに喜びを感じていなければならなかったのだ。「家族と一緒にいるときは、家族を愛することに徹しよう」と、心の底から思った。