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歴史と家庭

ジャーナリスト 高嶋 久

浅井江——女の戦に勝った徳川将軍の妻

三度目の結婚で徳川秀忠の妻となった江は、三代将軍家光の母、明正天皇の祖母として歴史に名を残す

徳川将軍の御台所

今年のNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」は、浅井(あざい)三姉妹の末娘、江(ごう)の生涯を描くものです。タイトルを浅井江としたように、江戸時代までの武家では夫婦別姓が普通で、妻は実家の姓を名乗っていました。

江は2代将軍徳川秀忠の正室ですが、あまり知られていません。三姉妹としては、豊臣秀吉の側室・淀殿になった茶々の、秀忠をめぐる女性としては、世継問題でライバルとなった春日局の陰になり、目立たないからでしょう。

でも、御台所と呼ばれた徳川将軍の正室の中で、将軍の生母として崇敬され、三十三回忌まで営まれたのは江だけですから、女性として立派に生きたに違いありません。

戦に勝つのが男の仕事なら、女の仕事は家を守り、子供を育てること。3代将軍家光の母となり、明正天皇の祖母となった江は、まさに女の戦に勝ったと言えます。

そんな女の戦のクライマックスは、江が江戸城に住むようになってからの約20年ですが、ドラマの展開に合わせて、本稿では少女時代を中心に紹介することにします。

父の遺言が道しるべに

江ら三姉妹の母は、織田信長の妹、戦国一の美女と言われたお市の方です。市が浅井長政に嫁いだのは、上洛を目指す信長が、長政が支配する北近江を無事に通過するためで、狙い通り、足利義昭を擁して上洛を果たします。

ところがその後、浅井と同盟関係にある越前の朝倉義景を討とうとした信長に長政が反旗を翻したため、浅井は織田に攻められます。3年に及ぶ攻撃にも落ちなかった長政の小谷(おだに)城が、ついに落城の日を迎えたのは天正元(1573)年、武田信玄の急死がきっかけでした。背後からの最大の脅威が取り除かれた信長は、長政の家臣たちを調略し、小谷城の西約5キロ、琵琶湖に近い山本山城の城主を寝返らせたのです。

信長軍は大軍で小谷城の北側を占拠し、支援に来た朝倉軍を打ち破り、越前まで追討して義景を自刃に追い込みます。越前守護・朝倉氏の滅亡でした。

取って返した信長が総攻撃を開始すると、小谷城内は総崩れとなり、長政は29歳の若さで自刃します。娘らと一緒に死のうとする妻を引き止めた長政は、「生きて私の菩提を弔い、浅井の血を残せ」と頼みます。三姉妹の人生の道しるべとなった父の遺言です。

もっとも、江はその年に生まれたばかりなので、父の記憶はないでしょう。でも、母や姉たちから繰り返し聞かされていたに違いありません。滋賀県長浜市の小谷城跡は4月、市と三姉妹を思わせるような美しい桜に覆われます。

三姉妹それぞれの人生

豊臣秀吉の側室となり、京都・伏見の淀城で鶴松を産んだことから淀殿と呼ばれた長女の茶々は、その折、父母の法要を営んでいます。鶴松の死後、嫡男・秀頼を産んだ時には、京都・三十三間堂の東隣に、父の菩提寺・養源院を建立しました。後に焼失した同院を、再建したのは江です。

二女の初は、近江の名門・京極高次の正室となり、実子に恵まれなかったため江の娘を養女にもらい、嫡男・忠高とめあわせました。茶々や江に比べて比較的立場が自由だった初は、対立するようになった徳川と豊臣の調停役として活躍します。淀殿と秀頼が立てこもる大坂城を徳川軍が攻めた大坂の陣では、徳川方からも家康の信頼厚い阿茶局が出てきたので、女性同士の交渉になりました。

さらに初は、生き延びた父の遺児を福井・小浜市の小浜城に移った京極家で世話し、父の血を後世に残したのです。

三姉妹にとって父の遺言は女の生きる道そのものであり、最も忠実だったのが江だと言えます。

二男五女の母として

話は戻って、小谷城の落城後、市と三姉妹は信長の弟・信包に預けられ三重の伊勢上野城、後に津城で育ちます。その後、柴田勝家と再婚した母と共に越前に移りますが、対立する秀吉に攻められ、父母は果てます。市はこの時、秀吉に身を委ねるより、夫に殉じる道を選んだのです。

信長の血を引く三姉妹を手にした秀吉は、最初に江を、知多半島にある尾張・大野城の佐治一成に嫁がせます。しかし、一成が家康と通じたため数カ月後に離縁させ、今度は養子の羽柴秀勝と結婚させました。江は一女を授かりますが、秀勝は朝鮮出兵の戦地で病死します。

23歳になった江が三度目の結婚をしたのが、17歳の秀忠でした。そして、秀忠との間に二男五女をもうけます。最近の研究では、ほかの女性の子も含まれているようですが、江が母としての表向きの役割を果たしたのは確かです。

長女・千姫は淀殿と大坂城で果てる豊臣秀頼に嫁ぎますが、落城後は本多忠刻と再婚し、姫路城に住みます。秀頼の男児は殺されますが、千姫は生き残った女児を引き取って育て、尼にして鎌倉・東慶寺の住持としました。江戸時代で唯一、幕府公認となった女の駆け込み寺で、江の血を引く千姫らしい配慮のように思えます。