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誌上講演会

教育評論家 向井純三

家庭における父性と母性

父親の役割

教育関係者の間から、男の子が軟弱になったと言われるようになって久しい。何かを達成しようという意欲に乏しく、忍耐心がない。その上、傷つきやすく、自分に自信がない。そんな自立しきれない男の子が増えている。これは日本の子供たち全般に言えることのようだが、男の子にその傾向は著しいという。

この主要な原因に父不在を指摘する識者は少なくない。仕事に忙しい父は、子育ての現場に関与することが稀である。その結果、子供の心に父がいないという状況が生じてしまう。子供は一般的に親をモデルにして社会に巣立っていく。特に男の子は、意識的か無意識的かは別にして、父をモデルにして自立する。その父モデルが希薄であれば、どこに向かっていいのかわからない。

そもそも父性とは何か。精神科医であり、大学教授でもある片田珠美氏は、父性を「子供に自立を促し、社会に押し出すもの」と定義している。薩摩出身の海軍大将であり、連合艦隊の初代司令長官を務めた伊東祐亨(ゆうこう)の父にその例を見てみよう。祐亨の父は誇り高き薩摩武士、死をも恐れぬ勇猛心を子供たちに厳しく教え込もうとした。

父は元服式(今で言う成人式、14、15歳前後)後の子供たちを、寝る前に一人ずつ呼びつけ、切腹の作法を伝授したという。武士たるものは、死を恐るべからずという教えを血肉に染み込ませようとしたのである。

こうした教育は、薩摩や伊東家に特異であったわけではない。昔の日本の家庭では、親が大切にしている生き方、つまり価値観を子供に伝えることを義務としていた。それが家訓である。家訓に示された親の生き方に促されて、子供たちは社会に巣立っていったのである。こうした家訓(価値観)の体現者であり、伝達者でもあったのが、まさに父親であった。父親は、家の中できわめて大きな存在感を示していたのである。

価値喪失の時代

ところが戦後の日本の家庭で、家訓が語られることはほとんどなくなってしまった。戦前には、修身と呼ばれた一種の価値観教育があった。その徹底化が、軍国主義を引き起こしたという反省からか、戦後はその反動として、価値観教育を排除する力学が働いた。戦後とは、価値観が軽視された時代であり、私たちは価値観喪失というきわめて危険な時代に生きているとも言えるのである。

数年前、静岡で女子高生が母親にタリウムという毒を飲ませて殺そうとした事件が起こった。16歳の少女による母親殺害未遂事件として、世間を震撼させた。しかし、この少女は母親を殺害しようとしたのではなかった。彼女はきわめて優秀な生徒で、特に化学の知識は教師を凌ぐものであったという。彼女はただ単にタリウムの効果を確かめてみたかったのだ。

知識を正しく使うか、誤って使うかを決定する基準は、知識自体にあるのではない。それを使う人間の価値観にあるはずである。この少女の行動は、価値観教育を軽視した戦後の日本の一つの象徴のように思われる。

原則的な価値

子供を優しく包む母性、価値観を通して子供を自立へと促す父性。子供の成長にはこの両方が必要となる。現代は、この当たり前のことが通用しなくなってしまった。安倍晋三内閣の時、教育改革を旗印に教育再生会議を組織し、「親学」提言としてまとめ上げたことがあった。

この提言は11の項目から成り立っているが、その第一に挙げられているのが、「授乳教育の重要性」である。そもそも、なぜこの問題があえて取り上げられたのか。それは最近母親の授乳の仕方に変化が見られるからなのだ。赤ちゃんは、お母さんのお乳を吸いながら母親の目を見、お母さんも赤ちゃんの目を見る。そこには母子共の快感があり、スキンシップの原点がある。

ところが最近、赤ちゃんにお乳を吸わせながら、自分はテレビを見ていたり、携帯電話を操作したりして、赤ちゃんの目を見ない母親が増えているという。子供が情緒不安定になる原因の一つに、母親のこうした授乳の仕方に問題があるのではないかということが、この提言の背景にはあるのである。

ところがこの提案は、委員の間で大論争になったらしい。授乳教育の重要性ということを打ち出したら、お乳の出ない母親もいるので、そうした親に対する配慮に欠けるというのだ。それでも、この項目は大論争の末、辛くも残った。しかし、とうとう日の目を見なかった提言があったという。「父性と母性の重要性」という項目だったそうだ。反対理由は、母子家庭が多く、シングルマザーも増えているのに、そうした親に対する配慮に欠けるというのである。

このような議論を見ると、現代社会の傾向を垣間見る思いがする。例外に対する配慮のあまり、原則を否定する傾向である。私たちが問題にしなければならないのは、まずは原則である。母親が母乳で子を育てるのは原則であろう。お乳の出ない母親は例外である。また家に父がいて母がいる。これが原則であり、母子家庭は例外である。原則的な価値をまずは大事にして、その後に例外に配慮すればいいのであって、その逆であってはならない。例外に対して配慮するあまり、原則を否定したり、軽視する傾向は本末転倒である。

夫婦で担う人生最大の事業

近年、この日本で母の子殺しが増えている。子供を殺す母親の多くは、子育てにまじめに取り組んでいた母親だと専門家は指摘する。子育てにまじめな母親がどうして子供を殺してしまうのか。過剰なストレスに耐えきれず、パニックを起こしてしまうからだという。

京都大学で教育学を教えている辻本雅史教授によると、子育てを親だけが担うことになったのは、つい最近のことで、もともとは「子育ては社会の共同責任」だったという。地域社会には、「名付け親」、「取り上げ親(産婆さん)」などの様々な「親」がいて、子供の成長をみんなで見守ってきたのである。さらに家には、祖父母がおり、当然両親がいる。

しかし、現代社会は地域社会のつながりが極端に希薄になり、祖父母と同居する家庭も激減し、父親も仕事に追われて家庭を顧みない。子育ての大変さを母親だけが担うことになってしまったため、子育てにまじめな人ほど、パニックになってしまうという。

父親がいて、母親がいる。そして、それぞれが父性と母性の役割をしっかり果たしていく。こうした常識的、原則的な価値を取り戻し、子育てはせめて夫婦で担う人生最大の事業であることを肝に銘じて取り組むべきではなかろうか。

 -Profile-

■ むかい・じゅんぞう

1953年北海道生まれ。71年に北海道大学に入学、主に教育哲学、内村鑑三の思想等を学ぶ。その後、民間の研究機関にてグローバルゴール研究、東アジア総合研究、及び教育問題等の研究に携わる。現在は教育評論家として、研究会のコーディネイト、執筆、講演などで活躍中。