機関誌画像

愛の知恵袋 42

家庭問題トータルカウンセラー 松本雄司

世界からの恩返し

英国の新聞インディペンデント・オン・サンデーは、東日本大震災に対して、第1面全面を割いて日の丸を描き、日本語で「がんばれ日本、がんばれ東北」とメッセージを掲載してくれました。また、震災2日後の3月13日には、早くも米国、韓国、シンガポール、ドイツ、イギリス、スイス、中国、ニュージーランド、トルコから救助隊が駆けつけてくれました。その後も支援の申し出はどんどん増えて、3月25日現在で、133の国・地域と39の国際機関が人員派遣や物資提供を申し出ています。

米、英、独、仏等の欧米諸国や、韓国、中国、台湾などの隣国から予想以上の大規模な支援を頂いていることは本当にありがたいことです。もちろん、支援には国同士の外交や駆け引きもあるかも知れません。しかし、今回、世界各地から寄せられた支援の中で、私が特に胸を打たれたのは、外国の思いがけない人々が、様々な形でエールを送ってくださり、また「ぜひ、役立ててほしい!」と義援金や物資の提供をしてくださったことでした。

戦乱、被災国からの支援

今なお戦闘の続いているアフガニスタン。その南部にあるカンダハル市が、震災翌日の12日に義援金5万ドルの提供を表明しました。駐日アフガン大使は、「アフガン国民は、日本のこれまでの支援を決して忘れません。日本が完全に復興するその日まで、支援を続けたい」と語り、3月29日には、政府として100万ドルの義援金を送ってくれました。

また、3月18日には、中米のハイチから、「日本からの支援にお礼がしたい」と人員派遣の申し出が寄せられました。ハイチは、昨年1月の大地震で死者31万人の犠牲者を出し、いまも貧困と災害復興の二重苦にあえいでいる途上の国です。

同じ中米のグアテマラも、一人あたり国内総生産が3千ドル未満の貧しい国ですが、「これまでの日本からの援助に、少しでも恩返しがしたい」と、ペットボトル入りの水1万本や缶詰などを送ってくれました。グアテマラは地震やハリケーンが多く、日本は1975五年以来9回にわたって災害援助をしていました。

スラム街で起きた募金運動

タイのバンコク最大のスラム街、クロントイでのことです。スラム労働者の日当は250バーツ(約680円)です。3月29日、その住民達が、義援金として40万バーツ(約109万円)を集めて、日本大使館に届けてくれたのです。きっかけは、日本人を夫に持つプラティープ・ウンソンタム・秦(はた)さん(58)が、「クロントイは日本の方々の援助に助けられてきました。感謝の気持ちを伝えましょう」と募金を呼びかけたことでした。「スラムの天使」として知られるプラティープさんは、40年間にわたってスラム支援に取り組み、1978年にアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞し、その奨励金で「ドゥアン・プラティープ財団」を設立した親日家です。

パプアニューギニア、ケニヤの寒村から

西太平洋の島国、パプアニューギニア。同国中部のゴロカ教育大学で情報管理部長を務める原田武彦さん(38)が、ローカルのFM放送で被災状況を伝えたことがきっかけで、住民は数百世帯に1台しかないテレビに群がって震災ニュースを見ました。同大学の日本語学科の学生が募金活動に立ち上がり、工事用のトロッコを押して村々を回りました。現金収入が乏しいため果物やピーナツを入れる人もいましたが、2千人以上の人達から義援金8千キナ(約28万円)を集めてくれました。

アフリカのケニアでは、ジャイカ(JICA・国際協力機構)の要員として保健指導に携わっていた日本人が、支援先の小さな村で住民に声をかけられました。「これは日本の被災者の役に立つでしょうか…」。それはその村で採れる豆でした。村は数年来の干ばつで深刻な食糧不足が続き栄養失調の子供も多いのです。そんな中で、村人達はラジオで日本の震災を知って、「自分たちでどんな支援ができるだろう」と話し合って、村で採れる数少ない作物である豆を贈ろうと思い立ったというのです。(以上、資料は読売新聞より抜粋)

”無償の愛”が、世界を一つにする

今まで世界中で数々の災害が起こりました。しかし、被害規模が大きかったとはいえ、これほどまでに世界中の多くの人々に、「支援したい」と思ってもらえたことはなかったのではないか…と感じています。

こんなにも多くの国の多くの方々が、日本に同情し支援をしてくださるのは、ただ津波や原発事故の被害が大きかったからだけではないと思います。

彼らがそういう気持ちになってくださった背後には、日本が、戦後数十年間にわたって、平和と復興のために世界の国々に黙々と援助を続け、数多くの民間の有志たちが、自ら現地に身を投じ、人々を愛し、奉仕の汗と涙を流してきたからではないでしょうか。

人は”苦しい時に助けてくれた人”を忘れることができません。「いつの日か、きっと恩返しをしたい」という気持ちが、消えることはないのです。

やはり、本当の意味で世界を一つにすることができるのは、最後は、政治や経済の力ではなく、ましてや軍事力でもなく、”無償の愛で互いに奉仕し合うこと”以外にはないと、改めて教えられたように思います。