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誌上講演会

UPF日本・教育局長 松波 孝幸

悲しい犠牲が教えてくれたこと

「生きるとは何か」

平成23年3月11日、巨大地震とそれに続く大津波はあまりにも悲しい深い爪痕を残した。

わずか1時間前には全く平和でのどかだった町や漁村が、全く想像できないほどの惨めな状況に破壊しつくされた。互いに笑顔で挨拶や会話を交わしていた人たち、ひたすら仕事に打ち込んでいた人々、生命に溢れ可愛い大騒ぎをしていた子供たちも、一瞬にしてこの世にいない人たちになってしまった。一方、生死の境で、津波の濁流に飲み込まれていく肉親や隣人を見ながらも、助かった人たちもたくさんいる。一瞬に失われた平和、美しい心と命のことを思うと、冥福を祈らざるを得ないと同時に「生きるとは何か?」と考えさせられる。

東日本大震災で被災し、父母や兄弟、肉親や親友を失った人たちが互いに助け合い、譲り合い、乏しい水、食料を分かち合いながら生きるという、悲しくも美しい姿は世界のみならず現代日本人に大切なことを教えてくださったように思う。

昭和20年代の「美しい家庭」

1961年に公開された映画「名もなく貧しく美しく」(松山善三 脚本・監督)が、時々再放送され、現代日本人が忘れがちな貴重な価値観を思い起こさせる。物語は昭和20年、終戦間近から始まる。主人公「秋子」は聾唖(ろうあ)者であった。姿が美しかったからだろうか、寺の息子の嫁となるが、夫が腸チフスで急逝するとすぐに実家に追い返されてしまった。やがて、聾唖学校の同窓会で知り合った片山道夫の誠実さと愛情に打たれ、二人は結婚した。道夫も聾唖者だった。彼は真実一路の人だった。秋子を愛しひたすら働いた。秋子はやがてみごもり元気な赤ん坊を産んだ。しかし、夫婦共に耳が聴こえないことからくる不慮の事故で死なせてしまった。夫婦はこの上なく嘆き悲しんだ。

ある時、秋子の母が行くところがなく、彼らを頼って転がり込んできた。道夫は心から喜んで受け入れ、自分の母として愛した。秋子はまた男の子を産んだ。その子は一郎と名付けられ健全に育ってゆく。道夫は靴磨きをして生計を維持していたが、子供・一郎の教育を考え、印刷所の植字工となり勤務する。一郎は成長するに連れ聾唖者である両親をうとんずるようになった。周囲の視線に苦しみ、その原因は両親にあるとして反抗するようになった。母秋子は苦しんだ。

加えて秋子はミシンでの縫製仕事でお金をだまし取られたり、刑務所から出てきた弟に大切なミシンを売られてしまう。しかし道夫は必死に秋子を支え勇気づけた。道夫の秋子への尊敬と愛はどんなことがあっても変わらなかった。

やがて一郎はそんな両親の偉大さに目覚める。他の何処にも見られない互いの深い愛情と信頼に尊敬心と誇りを持つようになる。一郎は自分の父母を誇り、友人にも堂々と紹介するようになった。

寺の息子と最初の家庭をもっていた時、秋子はかわいそうな戦災孤児アキラに出会い同情し、家で引き取り育てようとしたことがあった。しかし、寺の家族が反対し彼女が留守の時に収容所に入れられてしまった。十数年後、アキラは立派に成人した。彼は秋子の温かく深い愛情を忘れられず、再婚して道夫と暮らす秋子の家まで訪ねてきた。彼は立派な自衛隊員になっていた。外出していた秋子はその知らせを聞いて驚いた。家に帰ろうと、あまりのうれしさで大通りへ走ってとび出した。そのとき秋子はトラックにはねられた。激しく鳴らした警笛が聾唖者の秋子には聞こえなかったのだ。一瞬の出来事だった。秋子は死んだ。

道夫と秋子の人生は美しかった。秋子は自分の子でもないアキラの人生を心底から心配し面倒を見ようとした。夫婦は、子供を深く愛するからこそ、反発する子供の姿に深く傷ついた。一郎が父母の偉大さに目覚め、尊敬し誇りを持つようになった時、秋子と道夫に無上の幸せが訪ねてきた。二人は互いに誠実だった。正直に語り合い、相談し合った。この家庭には名誉や富はなく、どこまでも貧しかった。

社会的尊敬を集める誇るべき家庭でもなかった。しかし美しい偉大な家庭だった。美しく、強く、温かい家庭だった。他の如何なるものによっても替えることができない尊いものを持つ家庭だった。

そのような善良な家庭に、悲劇が突然やってきたのだ。秋子が突然の死を迎えた。秋子は立派に成長した戦災孤児アキラの訪れを知り、感謝と愛の喜びの中に死んでいった。道夫は最愛の妻を失った。長男・一郎も支えてあげたいと思っていた母を失ってしまった。美しいけれども悲しい人生となった。しかし、彼らは秋子と共に歩んだ尊く美しい道から外れることはなかった。その道は伝統となり、やがて結婚をし、家庭を創る一郎に相続されていくに違いない。

偉大な価値は家庭から実現

映画「名もなく貧しく美しく」は心に深く語りかけてくる。ここに表現された一つの美しい家庭は、東日本大震災で被災した方々の家庭を象徴しているかのようだ。

大地震の直後に襲ってきた巨大津波に飲み込まれる直前まで村人たちを避難させようと叫び続けた若い女性、目の前で愛する孫が津波に押し流されてゆくのに「何も出来なかった」と涙に暮れ、もがき苦しむ老人、自らの父母・弟・妹が命を奪われたかもしれないのに孤立した被災者の命を救うために必死の若い医師や自衛隊員、彼らの美しさと強さ、そして悲しさは全国民の心を打った。絶望せざるを得ないほど破壊し尽くされた漁港や工場に立ち、再起の決意をにじませながら、黙々と瓦礫の処理を続ける経営者や漁民たちの姿は私たちの心を揺さぶった。日本国民のみならず全世界の人々をも驚かせた。続く大余震の恐怖、寒さと飢えの中でも、互いに食べ物や飲料水を分かち合い、ゆずりあい助けあって秩序を保ち困難を克服しようとする姿は、世界の人々を驚嘆させた。

特に東北の田舎は、地域全体が家族文化に支えられていることを教えてくれた。

映画「名もなく、貧しく、美しく」が示した美しい家庭は作り上げた空想ではなく、実在する家庭の文化であった。「悲しくも、強く、美しい家庭文化」は失われた日本の原風景だったのだ。震災の犠牲者が日本国民に忘れかけている大切なものを思い起こさせ、最も重要な教えを与えてくださった。

家庭の文化を通して偉大な価値が実現されることを教えてくださった。永遠に忘れられない美しさ、温かさ、感動、感謝、不変の強さ等々は家庭文化に現れるのだということが明示された。また一つの家庭文化が企業や社会に拡大し、国や世界に拡大され、我が国の文化としても実現されうるものであることが教えられた。

東北地方の田舎の文化が日本社会の行くべき方向を教えてくれている。

私たち日本国民がそのことに目覚めることができたら、震災で亡くなられた方々への少しばかりの供養になることだろう。