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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

陰徳の人、天に宝を積む人たちに支えられる日本と賢治の「雨ニモマケズ」

東日本大震災の取材で岩手・陸前高田から帰ってきた友人の話である。

日曜日の夜に乗った盛岡市からの夜行バスが、月曜日早朝の新宿駅前に着いた。預けた旅行かばんを受け取りにバスの横腹に並んでいると、30代前後の男性が細長い布袋を受け取っていた。ジーパンにジャンパーをひっかけたラフな恰好だが、物腰から会社勤めの人と分かる。

布袋の中身はゴルフクラブではなく、スコップを入れていた。布袋でなく、長い布を巻いている人もいた。そういう人が30人前後が定員のバスに2、3人いて、彼らは慣れた感じで背広に着替えて、何ほどのこともなげにそのまま出勤する風だった。

それも、どうやら1回だけのことではなく、週末の休みの度(たび)に被災地でスコップを使ってボランティア活動をし、平日は会社で働いているようだ。盛岡駅で、別のバスに乗る、そういう人を何人も見かけたと言う。

日本は、そういう陰徳の人、人に知られないで天に宝を積む人たちに支えられていることを胸熱く思ったのである。そして、思い浮かべたのは宮沢賢治の誰でも知っている、あの一節である。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ

賢治がこれを書いたのは昭和6年(1931)11月3日だが、花巻の実家で病床に伏していた。だから、書き出しは自らを励まし健康な体を取り戻したい願望のようにもとれるが、この詩が信心する仏に「ワタシハナリタイ」と願い上げる「デクノボー」は利他・無私の心で人に尽くし抜く理想の人格像のことであろう。詩は

慾(ヨク)ハナク
決シテ瞋(イカ)ラズ
写真

あるいは

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ……

と綴るからである。この詩を手帳に記して2年後、賢治は37歳で逝く。9月21日が命日である。

〈つきぬけて天上の紺曼珠沙華(こんまんじゅしゃげ)〉山口誓子