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誌上講演会

教育評論家 棚橋 嘉勝

感謝の気持ちを言葉にしよう

言葉には力がある

人は一人では生きていけません。人は、自分で気づいているよりも、はるかに大きな、周囲の人たちの力によって生かされているのです。人と人とのかかわりをつくることで、人間らしく生きていけるようになるのです。その始まりが挨拶です。子どもたちにも正しい挨拶が自然にできるように教えましょう。

朝起きて人に会うと「おはようございます」、何かしてもらうと「ありがとうございます」、食事をいただくときには「いただきます」、食べ終わると「ごちそうさまでした」、出かけるときには「行ってきます」、帰ると「ただいま」、人に会うと、時刻によって「こんにちは」「こんばんは」、別れるときには「さようなら」、謝るときには「ごめんなさい」、寝る前には「おやすみなさい」など、一日はいろいろな挨拶の言葉で成り立っているのです。

家の中でも、朝、最初に顔を合わせると「おはよう」の挨拶を交わし、「親しき仲にも礼儀あり」を実践しましょう。何より夫婦がそう挨拶し合うことで、子どもたちもまねをするようになります。子どもにとって家庭が最初の社会なのですから。

私たちが受けているさまざまな恵みに対して、深い感謝の念をもつ、それが「ありがとう」なのです。でも、相手が家族だとつい忘れてしまいがちです。特に日本の夫婦は、互いに「ありがとう」と言うことが少ないようです。相手に感謝する思いがあっても、言葉にしないと伝わりません。とりわけ夫婦生活が長くなると、言葉が少なくなる傾向がありますので、気をつける必要があります。離婚が増えているのも、意外とそんな小さなことの積み重ねのせいかもしれません。

日本には昔から言霊(ことだま)という言葉がありますが、言葉には一種の霊的な力が込められていて、言葉を発することでそのようになると信じられてきました。朝の食事を妻が用意してくれるのは当たり前だと思っても、「ありがとう」と一言声をかけることで、「夫は私に感謝している」と思われ、「もっとおいしい食事を作ってあげよう」という気になってきます。それを、何も言わず、仏頂面で黙って食べるだけだと、「この人は私のことを家政婦のように思っているのかしら」となってしまいます。

妻にしても、夫が外で働いてくるのは当然だと思っても、「ご苦労さま」の一言は折に触れてかけるようにしたいもの。男性は一般的に女性よりも単純で、褒められると調子に乗るものです。それも、身近な妻から「あなたって、すごい」「よくやったわね」などと評価されると、ますますやる気が出るものです。頭のいい妻は、そうやって上手に夫を操縦することです。

日本の男性の多くはマザコンです。自分の母親を理想の女性だとするイメージを持って育っているのです。それは、心理学的にも男性が男らしく成長する上で必要なことですので、ごく自然な現象なのです。男性の味覚にはお袋の味が残っていて、それに合うとおいしいと思います。ですから、賢い妻は夫の母親に料理の味付けを教わるようにすればいいのです。

妻たちの中には「私はあなたの妻であって、母ではない」と思う人もいるでしょう。それも当然で、対等な夫婦として成熟していくことも大切です。そうでないと、精神的にはいつまでも子どものままの男になってしまいます。夫婦であっても互いに独立した人格で、大切に扱わなければならない、という気持ちを表すのが「ありがとう」の言葉です。

もちろん、それには笑顔が伴っていなければなりません。そんな温顔が自然にできると、誰にでも好かれる人になれ、年を取っても孤独に陥ることがありません。どちらかが先に亡くなり、一人で生きていくようになるときのことも考え、日頃から温顔ができるように努めたいものです。

でも、そのことと、夫が妻の中に母性を求める気持ちとは、矛盾するものではありません。日本の仏教では、古来から観音信仰が最も強いのですが、それも母性に対する憧れがもたらしたものです。もっと古代の縄文時代でも、土偶の多くは女性、それも妊娠した女性がモデルになって作られています。それは、命を産み出す女性の神秘性に対する崇拝であり、優しく包み込んでくれる母性への憧憬からでもあるのでしょう。

見えない存在に対する気持ち

食前の「いただきます」は、多くの命をいただくとの意味で、仏教的な言葉とも言えます。そのため、宗教的な理由から学校で、食前に「いただきます」と子どもたちに言わせるのに反対する保護者もいますが、それは日本の伝統文化を否定することです。インドでは命あるものは動物までですが、日本では植物にも命を認めています。ですから、インドから中国を経て日本に入ってきた仏教は、そんな日本人の感性に影響されて、すべてのものに仏性があるという宗教になりました。その意味では、神道に見られる古代からの日本人の生命観が、日本的な仏教を生み出したと言えます。

ですから、いろいろなものの命を食べないと生きていけない人間が、その命に対して、また食物を作り、加工してくれた人たちに対して感謝の思いを表現するのは、日本人としてごく自然な行為なのです。そのことが、日本人を日本人らしくしてきたとも言えます。

保護者の中には「給食費を払っているのだから、いただきますと言う必要はない」という人もいますが、これも今の説明から見当違いであることは言うまでもありません。「いただきます」は、食物そのものや、それを用意してくれた、目には見えない多くの人たちに対して言っているので、学校に対して言っているのではありません。

もっと言えば、目には見えないが、私たちを見守ってくださっている神仏や先祖に対する感謝の言葉です。人や物に対する感謝の言葉は、その背後にある見えない存在に対する気持ちを、私たちの心に沸き起こさせてくれます。その気持ちが、私たちの心を柔和にしてくれるのです。挨拶の言葉は簡単なようで、その奥は深く、だからこそ、それを正しく、自然に使えることが、その人の人格を示すことになるのです。

人を高めることで自分も高められる

「おかげさま」も美しい日本語の一つです。周りの人やもの、その背後にある神仏によって生かされている自分を的確に表現した感謝の言葉です。これを自然に使えるようになると、大人になったと言えるでしょう。

今は個人主義の時代で、私の権利を主張すること、私の利益を求めることがいいことだとされています。でも、そんな私は、私の力で生まれてきたものでもないし、一人で生きているものでもありません。たくさんの人に支えられて生きているのですから、そのことに感謝し、みんなの幸せを実現したいと思うのは、ごく自然のことです。

もちろん、自分自身が健康で、しっかり働けなければ、人のために何かをすることはできません。ですから、まずは自分のことを考え、力をつけていこうというのは当然ですが、人間はいつまでも元気でいられるわけではありません。病気になったり、老いてしまったりすると、誰かの世話を受けないと生きていけなくなります。そのときに「おかげさまで」という気持ちがあるかないかで、対人関係、ひいては自分の扱われ方が大きく変わってくるでしょう。

体の自由が利かなくなり、言葉が話せなくなっても、目で感謝の気持ちを示せれば、周りの人にも伝わります。そんな気持ちが分かると、世話をする人も、心を込めてお世話したいと思うものです。もちろん、そうされるのを期待して感謝するのではなく、感謝の気持ちで生きているから、そうなるのですが、「おかげさまで」と心の中でつぶやくことで、不幸で理不尽な境遇にあっても、人間としての誇りをもち続けることができると思うのです。感謝の気持ちと言葉は、自尊心を高めるものでもあります。人を高めることで自分も高められる。そうした生き方が、古来から「和」を大切にしてきた、日本人の伝統なのです。

 -Profile-

■ たなはし・よしかつ

1933年神奈川県生まれ。慶応義塾大学卒業。学校法人郁文館学園理事長、同中・高・国際高校校長を歴任。元東京都文京区教育委員。現全国商業高等学校協会顧問、慶応義塾大学三田教育会名誉会長、その他要職多数