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誌上講演会

筑波大学名誉教授 鈴木 博雄

「しつけの必要」に国民的理解を

「親を見れば、子供がわかる」

昔から「子供を見れば、その親がわかる」と言われてきた。しかし、今ではむしろ、「親を見れば、子供がわかる」とも言ってよい時である。私が以前、筑波大附属小の校長をしていた頃(昭和50年代)、担任教師からいじめや引き籠もりの相談をしばしば受けたことがある。また、校内の授業を巡視していて、いじめのあるクラスやクラス内でいじめられている児童はすぐに分かった。そこで、担任教師を呼んで事情を尋ねると、「よく判らないが、多分、家庭に問題があるのでは?」と答えた。その後、父母会や家庭訪問などで、その児童の母親に出会うと、それらの疑問が解けた気がしたことがある。

ある時、幸田文(あや)(幸田露伴の娘)さんがお孫さんのことで校長室に私を訪ねてこられたことがあった。文壇の著名な方の来訪に私は大変恐縮して、早速、担任教師を呼んで文さんの前で事情を説明してもらった。

幸田さんの言葉の端から推して、彼女が孫を育てている自宅の育児法に多少の違和感を持っておられる様子だった。それはまた当時、流布されていた、しつけ軽視の風潮に対するものだったように受け取れた。

私は、戦前とは違う教育方針を説明して、しつけについても「子供の自主性」を尊重する考え方なので、戦前のしつけ教育とは違うことを話した。しかし、学校では教師はお孫さんがいじめられないように、絶えず気を配っていることを伝えて、安心していただきたいと申し上げた。

要件が済んだ後、私はこのまま別れるのは惜しい気がしたので、お茶を入れて差し上げ、私が過日、岐阜の淡墨(うすずみ)の桜を見てきた時の話をしたら、文さんは沖縄の島々を訪ねた時の美しい風景を語られた。この時の幸田さんとの出会いはとても良い思い出となった。

また、当時の財界のトップにもなられた著名人の某氏がこっそりと校長室に訪ねてこられて、氏のお孫さんがクラスの中でいじめに遭っているらしいので、学校の方で善処してほしいということだった。私はいじめの実態を調査した上で適切な措置をとると答えたところ、氏はその返事では満足されず、相手の親と話して転校するようにしてほしいとまで言われて、「何なら、自分が文部省に行って話をしてきてもよい」ということだった。

祖父が孫のことを気遣う気持ちは理解できるが、ここまで来るとやり過ぎである。そんなことをしてマスコミに知れたら、それこそ双方の子供の将来は滅茶苦茶になってしまう恐れがある。私は苛立つ祖父とその動きに反発する相手側の親との間にあって、とにかく事を穏便に処理することに全力を挙げた。

今でも子供同士の喧嘩があると、いきり立って学校に怒鳴り込んでくる親がいる。そこまで行かなくても、学校の指導を冷めた目で傍観している親は少なくない。

かつて、つくばの小学校を参観して後、校長に親の参観について意見を聞いたことがある。その時、校長は自分の学校の参観者の多くは、つくば在住の研究者なので、授業やしつけについて何か言われないかと大変に神経を使うということだった。事ほど左様に当今の親の参観には学校側として気を遣っているわけである。そして、この学校側の緊張した雰囲気はすぐに子供の動きにも伝わり、とてもリラックスした授業風景にはなっていないことが少なくない。

他方、子供の教育は学校任せにして、父母会や授業参観に全然顔を出さない親もいる。授業参観日に親が来ていない児童の顔は元気がなく、授業にも集中できていない。参観日の欠席は親が考える以上に子供には衝撃を与えるものなのである。

私は大阪で小学校の時期を過ごしたが、大阪人は子供の教育については学校任せで嘴(くちばし)を入れることはしなかった。その代わり、生活の中でこそ効果的なしつけを親や奉公先の親方がきっちりやっていた。こんなところにも大阪人らしい合理主義が窺(うかが)われるのである。

子供の成長に応じたしつけ

しつけの問題を考えていく上では、第一に子供の成長としつけの関係であり、第二には子供の生活領域としつけの関係であった。以下、この二つの課題に沿って、しつけを考察していくことにする。幼児期のしつけと言えば、まず、幼児期の食事や排泄時などの行動様式を身につけることから始まる。子供の成長には心理面と行動面とがあるが、それも成長に応じて順次変化していくから、それに対応して、しつけの内容も変化していくことは言うまでもない。

幼児期のしつけは母親が主役

幼児期は零歳から、2、3歳の頃までを指すが、この時期は母親が主役である。子供は生後1年を経る頃より自分以外の人間に関心を示し始め、それらの人間の行動を模倣することで成長していく。この時期に最も身近にいるのは母親であるから、母親が子供の模範であり、その人格形成に大きな影響を与えることになる。

ところが、その母親が1980年代頃から社会に出て働くようになり、幼児は保育所や幼稚園に預けられることになった。そこには、女性の自立という思想が強く働いており、子育ては母親の生き甲斐というよりもやむを得ない仕事といった面が強くなってきた。その母親たちは子供を愛する気持ちは深いものの、現実には仕事に追われ、時間に追われて充分な世話をすることが難しくなってきた。このため、子供は幼児の頃から孤独の淋しさを味わい、親との感情の疎通が充分にできなくなってきた。これでは親に似ぬ”鬼っ子”が増加し、母子ともに孤独の悲哀を味わうことになる。

児童期のしつけ——社会性の育成

児童の社会性のしつけを考える上で、私の経験をまず述べてみよう。それは私が附属小校長時代のことである。

附属小校の児童は地域の公立小学校に通う児童と違って、東京各地から乗り物を利用して通学している。児童にとっては放課後の帰り道が友達と遊べる貴重な時間なので、車中でもかなり騒ぐことになる。しかし、それは危険でもあり、他の乗客に迷惑をかけることなので、車中のマナーについては繰り返し指導し、時には下校する児童と一緒に地下鉄に乗車して見守ったこともある。

校内の運動場で自由に遊ばせている時の出来事である。ある時、運動場でボール遊びをしていた児童のボールが校外の民家の窓ガラスを割ってしまったことがあった。すると、それまでそうした危険な遊びに辛抱していた周辺の民家から一斉に学校への非難の声が上がってきた。このことを給食づくりに来ている近所の女性から聞き知った私は、教師たちには児童の指導を依頼すると同時に、私自身は周辺の民家を戸別に訪ねて謝罪して回った。この私の姿を見た児童たちは、それ以後、ぴたりと民家にボールをぶつけることをしなくなった。このことを通じて、しつけは単に学校内だけにとどまらず、周辺の社会環境へ及ぼす影響をも考えた社会性のあるしつけでなければならないことを教えられたのであった。

新しい時代のしつけの課題

戦前のしつけは、社会の厳しい道徳律に沿って、家庭、学校、社会のそれぞれの場で子供のしつけとして具体化していくことが課題だった。ところが戦後の一時期は”しつけ”という言葉自体が古臭いとして忌避され、一時は”しつけ不在”が叫ばれた時期があった。当時の進歩的勢力としての日教組もその一翼を担っていた。しかし、間もなく教育の現場からは授業を進めていく上で、しつけ必要論が起きてきた。

同様なことは、戦後の家庭論の歩みの中にも見られた。戦後の受験競争の激化とともに、母親の中には家庭教師や塾には大金を投じても悔いはしないが、しつけについては「子供の学力向上とは無関係」と言って軽視する風潮があった。その上、その頃から盛んになった母親の共働きを進めていく上でもしつけ軽視論が支持された。

しかし、しつけ軽視の結果は、「児童にやる気が見られない」「授業中に落ち着きがない」などの傾向がはっきりと見られたのである。

こうしたしつけ論の変転の中で、私は一貫して「しつけの必要」は教育学の立場から主張してきたし、今後もこれを続けていくつもりである。

結論として、しつけは子供の成長発達に応じて生活の行動様式を身につけ、習慣化するための訓練であるといえよう。これは民主主義社会の平和的な秩序を維持していく上でも欠くことのできないものであることを国民各位は明確に理解していただきたいと願うばかりである。