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誌上講演会

上武大学教授 菅野 英機

両親の思い出と孫がいて

父母、祖父母の姿

我が家は取り立てて話すこともないごく平凡な、だけど少しだけ恵まれた家庭である。その平凡な家庭と家族の経験にも何か意味のあることがあるかもしれない。そこで我が家のささやかな経験の一端を紹介することにする。

自分で言うのは少し照れるが、私の父と母は、大変知的で学識が高く、頑固なまでに自分の在り方を曲げないが、子供たちには深い無垢な愛で包み育て、辛抱強く、特にものになるか否か分からない私のわがままな学究生活をじっと見守っていただけた。現在の私があるのはこの両親のお蔭である。

母とは父が亡くなった後五年ほど高崎で一緒に暮らした。そのことを母はとても喜んでいた。家内も「大きいママ」と暮らせて良かった、特に私たちの子供たちのために良かったと心から喜んでくれている。

子供たちも、私の母を「大きいママ」と呼び、家庭を活性化するためと言って、家庭内新聞をパソコンで作って、家族の声を乗せ、コミュニケーションを促してくれた。子供たちにとっても「大きいママ」や父から学んだことは大きかったはずである。

父はよく神社やお寺に連れて行ってくれた。それとなく神仏の大切さを教えてくれた。大学では法哲学を学んだが古代史の専門家と言える程に古代史に詳しかった。父から問わず語りに聴いたことが今私の大切な基礎の一部になっている。

母は戦前のキリスト教系の女学校と専門学校(現在大学)を卒業していた影響で、亡くなるまで時々聖書を紐解いていた。教会に通うことはなかったが、考え方は明らかに影響を受けていた。私も今でも時々聖書を母を思い出しつつぼつぼつ読んでいる。あるいは母を思い起こすよすがに聖書を読んでいると言えば怒られるであろうか。

何かを考えるとき、私の脳裡に時に浮かぶのは、私の祖父と祖母である。毎日神様と仏様に御神酒とご飯をお供えして一心に拝んでいた祖父、内職をして自分で得た僅かなお金で毎年、年の暮れに近所の恵まれない子供たちに、業者についてもらったお餅を近所で配っていた祖母の姿は今も忘れられない。私の子供の頃は、親を亡くして靴磨きをしてやっと生きている子供たちがいっぱいいた時代であった。また祖母は毎日たくあんを一本買い、5センチばかりを自分が切ってもらい、残りを「たくあんが買えないで困っている人のためにあげてください」と、店の人に頼んで、店に置いて帰って来ていた。祖母に聞いた話では買おうとしてもお金が足りないで帰って行った人を見ていたからである。

小学生の私にもそれが善行であることは理解していた。祖母は私に何時も、「瓶に手を入れて飴をいっぱい握り締めて、瓶から手が抜けないで泣いている子供がいるが、手を開いて飴を手放せば手が抜けるが、人はなかなかそれができないで悩んでいる」と繰り返し言っていた。恐らく「得られ与えられる物だけで十分で、それ以上の欲張りや無理をしないで満足しなければならない」と自分にも言い聞かせていたのであろう。今私にもその真意がいくらか分かったように思う。

父母が喜ぶことを

父や母を失ってみて、祖母から教わった、社会やみんなのために努力することは私なりに多少は行ってきたが、より根本的には父と特に母に喜んでもらいたくてがんばってきたように思う。「何をすれば母に喜んでもらえるか」が何を行い、何をしてはいけないかの基準となっていると感じている。

何を受諾し、何を拒否するかは基本的にはその人が属する社会の宗教を中心とする基底文化が決めているが、直接にはその人の両親が何を喜んでくれるかによると私は思う。父や母が亡くなった今もそれは変わらない。祖父や祖母そして父や母は私の心の中に今も生き生きと生きている。

祖父母から数えて私で三代目であり、三世帯で暮らした時期が懐かしいが、現在は私と妻と私たちの子供と孫で三世帯である。今はそれぞれ仕事の都合もあり離れて暮らしている。幸い子供たちは長男と長女がそれぞれ大学院を終えて、自分の専門を持って専門性の高い仕事でよくがんばっている。親としては十分満足しているが本人たちはもっと高見を目指しているようである。

娘は共稼ぎで二人の子供を育てており、私の家内がほとんど毎週お手伝いに行っている。共稼ぎの子育ては保育園に預けているとはいえ、誰かの手伝いがなければ無理である。政府の政策も母親の手伝いをサポートすることが必要である。子供が熱を出したり、親が病気になったりして子供を保育園に連れて行けないことがままある。

現在離れて暮らす老人世帯と子供を育てている若者世帯の助け合いを支える政策が最も抜けている。老人家族が子供と孫の家庭に行く交通費を無料にすることを提案したい。

長男の家庭は専業主婦で、実によく孫の面倒を見てくれている。だから家内が子育ての手伝いに行く必要はほとんどなく助かっているが、少なくとも月に一度は私と家内で行って、談笑し、食事を一緒にしている。この時の食事代は私たちが面倒を見るので少しは助かっており、感謝しなければならないであろう。その他法事や誕生日、慶事は欠かさず私たちと二人の子供家族と時に長男の嫁の両親や娘婿の両親が集まって行うことで、親族が親しく心を通わせて協力し合っていけるように務めている。

三世代で残していくもの

私がそうであったように、今度は私たちと子供と孫の三世代で子供たちと孫の心に何かを残せればと思う。娘の4歳の孫が、自分が3階建ての家を建てて、自分が1階に住み、2階に自分のお父さんとお母さんに住んでもらい、ばばに3階に住んでもらうと家内に言っている。何かしら孫の心にばばにお世話になっていると思われているようで、家内が帰るときに、孫が自分が買ってもらっているお菓子を一つ家内に「持って帰って」と渡してくれる。思いやりの心と感謝する心が育っているようである。

私の家に来るとまず仏壇に行き手を合わせている。お盆に寺へお参りに行った時、墓地にあった道祖神に手を合わせて「なむなむ」と唱えていた。感心だと褒めると娘が保育園に行く道すがらに、道祖神があり毎日行き帰りに手を合わせて「なむなむ」と唱えているとのこと。それで「今日もそうしたのでしょう」とのことであった。

自然に、教えるでもなく、教わるでもなく、日常の中で生活慣習や伝統文化や人間として必要な価値観や宗教的情緒などが、三世代のつながりの中から孫にも引き継がれつつあるようである。孫からこちらが教わることも実はある。私を挟んで五世帯が既につながっている。

血というか遺伝子がつながっているのは当然であるが、伝統文化や生活慣習や人間らしく生きるための価値観などもいくらか変化しながらも連綿とつながっている。家庭や家族は、すばらしい人間を育てるゆりかごであり、文化や宗教心や価値観などを伝承する場である。共稼ぎが多くなった現在では、子育てをサポートするための保育園等が不可欠であるが、保育園の機能には自ずから限界があり、三世代の家族の役割は決して低下していない。それは学校も同じである。知育や体育など学校にその多くを委ねざるを得ないのは当然であるが、人間として最も重要な内容はやはり家庭と家族及び心の中の祖先から引き継がれていくものであり、恥じることのない人生を送るための基準と身を正す何者かは、人を超えた「偉大な何者」かと、母であり、父であり、祖父であり、祖母である。

その祖先を忘れず常に心に呼び戻す働きが、墓参りであり、法事であり、仏壇である。それは宗派によって形は多様であるがその本質的意味は変わらない。それが宗教心と宗教的情緒の持つ本質的役割である。

また誕生のお祝いや七五三等の成長のお祝いも比較的我が家ではきちんと私の子供たちについても行い、孫の世代も近くの神社で私たちと娘の両親にも遠路を来て頂いて、省くことなく行っている。将来孫たちがその写真を見て、両親と祖父や祖母たちの思いを感じてくれるであろう。またその中に大切な伝統文化を継承する役割もある。

それが何を意味し何をもたらすかは、将来の孫たちに任せよう。