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誌上講演会

帝塚山学院大学名誉教授 川上 与志夫

家庭風景の分かれ道——明るく楽しい家庭を生み出す「状況役割」

ちょっとした言葉が人生の岐路に

どの家庭も独特の風景をかもしだしています。表通りから入った庭にも、家の中のたたずまいにも、さらに人間関係にも、その家庭ならではの音の風景や色の風景があります。その風景はちょっとした気遣いや行為で大きく変わります。その辺を探ってみましょう。

鎌倉に栄光学園というカトリック系の学校があります。その理事長だったドイツ人のグスタフ・フォス先生は、少年時代に貴重な体験をしました(『日本の父へ』より)

「ねえ、お母さん、あした友だちが3人来るのにさ、お父さんのあの汚い手、どうにかならない? 友だちに見られたら、ぼく恥ずかしいよ」

フォス少年のお父さんは炭鉱夫でした。その手は石炭の塵でいつも黒ずんでいました。思いがけない苦情にお母さんは料理の手を休め、息子をじっと見据えて言いました。

「何ていうことを言うの、お前は! お父さんの手は素晴らしい手じゃないの。仕事をする手なのよ。それを汚くて恥ずかしい手だなんて…。おかあさんはね、あの手が美しいと思って結婚したのよ」(言葉は自由な私訳)

毅然とした母の言葉にフォス少年は立ちすくみ、頭を下げて立ち去りました。このとき少年は、労働の尊さ、本当の美しさ、真実の愛情の何であるかを学んだのでした。

その年の誕生日に、両親は息子にデューラーの銅版画「祈る手」を贈りました。少年はその「祈る手」を勉強部屋の壁に飾りました。それは、父のすすだらけの手であり、母の赤くはれた手でもありました。その手に見守られて、少年の手も「祈る手」となりました。やがて教育者フォス先生のもとから、多くの若者が立派に巣立っていったのでした。

もしあのときお母さんが、「そうよねえ、お父さんのあの汚い手。お母さんもいつも気になっていたのよ。あしたは一日、どこかへ行っててもらいましょうか」と言ったとしたら、教育者フォス先生は生まれてこなかったでしょう。

家庭の風景は人間関係の音色で決まります。その音色の中で人格が形成されていきます。ちょっとした会話や行為が、道を二つに分けます。これが人生の岐路になるわけです。

家庭内でも社会でも、人間は常に他との関係の中に生きています。そのときそのときの関係は、そこに独自の状況を生み出します。私たちの行為はその独自の状況のもとで行われます。行為は状況への反応です。状況が違えば、反応や役割も違って当然です。

大抵の場合は固定化された役割でも、家庭や社会は何とか動きます。しかし、状況が変わると、通常の役割分担はうまく機能するとは限りません。従来の固定観念に疑問符をつけ、役割を状況判断によって柔軟化し、社会の動きや人間関係をより滑らかなものにしようとするのが、「状況役割」の考えです。

相対的関係(すなわちある特定の状況)の中で「私」に求められているのは、その場にもっともふさわしく行動することです。「今、ここにいる、私」にとって、何をどのように行ったらよいのか。ここに状況判断による「私の役割」が浮き彫りにされてきます。

状況役割を可能にする四つの柱

状況役割を可能にするには、つぎの四つの条件(大黒柱)が必要です。

  1. 教養:権力や慣例にとらわれずに、状況を大局的、倫理的に判断する知恵
  2. 愛:相手の立場になり、他者を生かす思いやり
  3. 勇気:嘲笑を恐れずに未知の世界に飛びこんだり、時流に逆らったりする心意気
  4. 責任:自己の言動の結果に責任を負う覚悟

フォス先生の場合も一つの例ですが、さらに具体例を考察してみましょう。

事例その1:(四つの大黒柱は読者がお考えください)

「ぼく、皿なんて洗っていられないよ。明日から試験なんだから」

「あら、だって水曜日は武くんの当番じゃない。さっきまでつまらないテレビを見てたくせに…。三十分もかからないでしょ。約束は約束だから、やらなきゃだめよ」

「無理だよ、そんなの…。試験の方がよっぽど大事じゃないか!」

このやり取りの結末は想像できますね。親子関係のひび割れです。こんなとき、お母さんが子どもの状況を察し、思いやりのある言動をとったらどうでしょう。

「あしたから試験ね。今日は水曜日だけど、お母さんが洗うわ。武くん、しっかり勉強してね」と接すれば、息子も「お母さん、ありがとう。試験が終わったら埋め合わせをするよ」と、素直に言えるでしょう。お母さんの責任はその約束を守らせることです。

事例その2:

息子が高校生だったころ、夜遅くまで受験勉強をしていました。私が寝るのはいつも12時過ぎ。夜中に、私は息子によくコーヒーやお茶菓子を持っていってやりました。

「ありがとう、お父さん」。これだけの行為が、息子の励ましになるのです。さらに、夜中の不思議な雰囲気のなかで、何気ない語り合い。心の通い合う贅沢なひとときでした。ときには息子がコーヒーやお茶菓子を持ってきてくれたりしました。

事例その3:

日本に来ている留学生たちは、楽しそうにしていても孤独です。彼らを招いて日本の家庭の味を経験してもらったり、名所に案内するのも、人間関係のつながりです。

「お父さんはときどき外国人を拾ってきます」

小学生だった娘はこんな作文を書きました。私は自分の留学時代に受けた恩恵に、こんな形でささやかに報いてきたのでした。妻や子どもたちの理解と協力の中で、留学生たちから貴重なことを学ぶこともできました。とっても楽しい、小さな国際交流でした。

事例その4:ビクトル・ユゴーの『ああ、無情』から:

長い刑期を終えたものの、行き場のないジャン・バルジャン。彼を温かく迎え入れたのはミリエル司教でした。その恩人を彼は裏切りました。司教が大事にしていた銀の食器を盗んだのです。でも町から逃げ出そうとしたとき、官憲に捕まってしまいました。

「これで、おれの人生はおしまいだ」と、彼は観念しました。ところが、ミリエル司教のところに連れ戻されたそのとき、思いがけないことが起こりました。

「おや、ジャン・バルジャンさんではありませんか。あなたには銀の食器だけでなく、この銀の燭台も差し上げたのに…。あなたは約束しましたね。食器と燭台を売って得たお金で、これからは強く正しく生きていくことを。さあ、これも持ってお行きなさい」

感動で言葉を発することもできないまま、ジャン・バルジャンは立ち去りました。意表をついたミリエル司教の応対によって、彼は立ち直るきっかけを得たのでした。ミリエル司教の行為には、状況役割の4本柱がいかんなく発揮されています。

人間(家族)関係の理想は「わ」(輪と和)にあります。英語のサークルも「輪と仲間」を意味します。「輪と和」を重んじるなら、家庭に花が咲きます。これを可能にしてくれるのが「状況役割」です。「わ」による「いのちのつながり」は、家族だけでなくすべての人が共に幸せに生きる妙薬です。この「つながり」「絆」を大切にしたいですね。