機関誌画像

誌上講演会

真の家庭運動推進協議会副会長 太田 洪量

情の世界の道理について

人間の価値は物より上

「智に働けば角が立つ情に掉(さお)させば流される」。これは、夏目漱石の「草枕」の冒頭の有名な言葉です。いわば、人の世の情の世界と人間の理知の間には、矛盾の関係があるという意味ですが、果たしてそうでしょうか? もし情の世界に何の道理もないとしたら、人の世は一体どうなってしまうことやら。人間は、情の赴くままにあちこちに行ってしまい、社会の秩序も家庭も滅茶苦茶になってしまいます。人間はある範囲内では、情の世界をコントロールできるはずです。ということは、情の世界にも何らかの法度(はっと)があるに違いありません。それについて、現代社会が抱えている問題と照らし合わせながら、見ていきたいと思います。

まず第一に人間と物の関係です。聖書に「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」との言葉があります。この全世界とは、人間以外の物の世界と取るべきでしょう。物の中には、人間が作ったもろもろの製品、お金、動物、植物、そしてすべての自然が入ります。したがって、この言葉の意味は、人間の価値は、お金、動物、植物、一切の自然、そして人間が作った如何なるものよりも上なんだと考えることができます。聖書の中には、似たような言葉を多く見つけることができます。いわく、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」「何を飲もうか、あるいは何を着ようかといって思い煩(わずら)うな。……」等々。しかし、実際の私たちの生活を振り返ってみると、どうでしょうか?

たとえば、「金の切れ目が縁の切れ目」とよくいいます。これでは、人間よりお金の方に価値を置いているということになります。ご夫婦に、「お金のことで夫婦喧嘩したことはありませんか?」と尋ねると、たいていの人があったと答えられます。ちょっとした行き違い位で終わればいいのですが、それが高じて、お金のことで夫婦の絆が切れるとすれば、人間の人間に対する愛が、ものに対する愛よりも低かったということになります。

かつてお盆の季節になると、四谷怪談と並んで番町皿屋敷という芝居がよく演じられていました。主人が大事にしていた皿一枚がなくなったということで、なくした女中の命が絶たれ、幽霊になって現れるという物語ですが、これも皿の方が一人の人間よりも大事だったという話です。お金は、人間生活にとって勿論欠かせないし、大事なものではありますが、そのお金に自分が主管されてしまってはいけないし、人間よりも上に置いてしまってはいけないのです。

愛情が育っていく順序

また最近のペットブームはものすごいものがあります。ペットのマッサージ屋やお葬式屋まであります。ペットを飼うのが悪いというのではありません。動物を飼い、植物を育て、自然を愛することは極めて重要なことです。人間の愛情がはぐくまれ育っていくのには、順序性というか段階があると思います。幼年期から少年期の初めにかけては、まず自然を愛する——そういう段階だと思います。勿論人とも接するし、人への愛情も芽生えてくるのですが、メーンは自然への愛情を通して、その情の世界が育ってくるということです。それから人を愛する順番になるでしょう。したがって自然を愛するのが不十分であれば、人間を愛するのにも欠陥が出てくると考えられます。だから、自然を愛する、動物や植物を愛することは真に大事なのですが…。では問題は何なのでしょうか? 少年期を過ぎても、人間よりも自然をもっと愛している、人間よりも植物や、ペットをより愛していること、これが愛の道理に反しているということなのです。

考えてみればわかることだと思います。人間を扱うのとペットを扱うのと、どちらが簡単でしょうか? 動物は自由に自分の意見や感情を表現し、自由意志で自由行動をとるという面が極めて僅かです。それに比して人間は成長するにつれ、どんどんとその部分が大きくなっていきます。

したがって、人間が、他の人を思い通りに動かそうとしても簡単にはいきません。意見がぶつかる時もあるし、反発される時もあります。人間をコントロールすると言っても、お金で縛ったり、力で抑えつけようとしても心までは不可能だし、そのままそういう主管を続けていたら、どこかで爆発するということになってしまうでしょう。人間と接していくためには、ペットとの関係よりも、もっと研究が必要だし、もっと努力が必要だし、もっと愛情も必要ということになります。それがいやだったり、自己の限界を超えられずに、難しい人間関係を避けて、動物やペットに走ってしまうことになりやすいのです。

奥さんが海外旅行から空港に到着、御主人がペットを連れて空港に迎えに行く、奥さんはゲートから出て来るや、一直線にペットに向かって走って行ってペットを抱きしめる、よく見かける光景です。海外留学から休みで母国に帰る、親よりもペットに会いたい、そういう子も増えています。ペットを飼うなと言っているのではありません、ペットを可愛がるなと言っているのではありません。ペットよりも人間をより愛するという原則を守るということなのです。

野菜や果物を作っていらっしゃる方、牛や豚を飼っておられる方、丹精込めて育てていらっしゃるのには脱帽します。しかし、自分の子供以上に愛情を投入して育成しているとなると問題がおきてくるのです。人間は何と言っても万物の霊長です。育てるのには、動・植物以上に愛情の投入が必要なのです。

道理から外れると問題が起こる

次の例をみていきましょう。「オタク」という言葉が出るようになって久しくたちます。ゲームやコンピューターに凝って、自分の部屋に閉じこもってしまう、そこまでいかないとしても携帯やスマートフォンでメールのやり取りばかりしたり、電車の中でもゲームに打ち込んでいる、これもよく見聞きする話です。いき過ぎると、人との直接的交わりを避けたり、面倒くさくなったり、ほとんどできなくなってしまいます。隣の部屋にいる自分の兄弟に対してもメールでやり取りする、ドアを開ければ直接話せるのに、面と面を合わせて直接人間と接触することをしない、避けたがる、こういう人が多くなっています。

機械いじりや、プラモデルに凝っている人、「もの」を取り扱うことが大好きな人、コンピューター、スマートフォンにはまりやすい人、要注意です。それがいけないという訳ではありません。物以上に人間に、家族に関心を持っているか、愛情を投入しているかということなのです。

例えば、携帯メールは携帯メールにしかすぎません。結局は物なのです。物を通して人間と接しているのですが、自分が直接接しているのは物なのです。直接人間と接触しているのではないのです。人と直に接するのは、もっとむずかしいし、もっと努力が必要なのです。だからといってそこを避けてはならないのです。物や、コンピューターや、携帯、スマートフォンとの関係よりも人間との関係をより大事にする、そのためにもっと努力をする——これが重要だし、道理なのです。

人間関係がうまくいかない、どこかに原因があるはずです。機械が故障した、原因があるのと同じです。病気になった、原因があるはずです。最近生活習慣病という言葉をよく耳にします。私たちの精神生活においても、情の生活においても生活習慣病が当然あるはずでしょう。道理から外れた精神生活、情の生活をしてくると、問題が出てきます。

では、人間関係においてはどうなっているのか、そこにはいろんな種類があります。人間関係における道理はないのか、あるとすれば何なのか、ページがなくなってしまいました。次回にしたいと思います。