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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

菊の香り漂う十月は野に山に体を動かす絶好の季節

寿命が長いか短いかの違いはあっても、人の一生は生まれた時から生きることに向き合い、老いと向き合い、病と向き合い、死と向き合ってから、地上での肉体の生涯をひとまず終える。「生老病死」は仏教用語で、広辞苑では「人間がこの世で避けられない四つの苦しみ。生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと。四苦。」と解説している。この「生老病死」で、あれこれ考えたのは、わが人生初の入院からである。

前に書いたように2か月の入院で結核と糖尿病を克服し、退院して4か月が過ぎた。この間に2回の定期検診では、血液検査の各数字は正常値、レントゲン検査も異常なし、一時50キロを割った体重も54.5キロに戻った。それでも、まだ何か体に違和感を覚え、自信が持てなかった。

歩くことが、何かフワフワした感じでしっくりこない。入院中も毎日3回ほど、合わせて2時間、病棟の廊下を歩き回ってきたが、外を歩くのとでは歩く実感が違った。体力も以前のようには戻らない。ようやく、それが”老い”だと気づいたのは最近になってからである。病が消えても、老いとも向き合う歳になっていたのである。

そう分かると、2年続きの昨年の猛暑にへばって、秋になり冬になっても体力がなかなか回復しないのは”老い”たからだと一時、思ったのに忘れ去っていたことを思い出した。老いが、普通は感染しても発病する人は10人のうち体に抵抗力のない一人か二人という、その一人か二人に追い込んだのだが、病気だと分かると「そうか、病か。老いではなかったのだ」と都合よく割り切り、今度は”老い”はまだ先のことと考えから追い出していた。老いからくる体の衰えなど、できれば考えたくなかったのでもあろう。

違和感は、長期入院で足腰の筋肉が落ちて歩くバランスが崩れたところからくるものに違いない。衰えた筋肉は、若い人のように、仕事に復帰し普通の生活をしていけば戻るという具合にはいかないのだろう。激しい運動ではなく、ラジオ体操やウォーキングぐらいの運動を気長に続けて筋肉の回復を図る他はなさそうだ。

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澄んだ空気の下、”晩秋の王花”菊の香り漂う10月は学校の運動会にスポーツや釣り、野山の散策など体を動かす絶好のシーズン。3年近くご無沙汰のウォーキング再開を自らにせき立てるこの頃である。

歳時記から。〈菊の香や奈良には古き仏達(ほとけたち)〉芭蕉 〈村百戸菊なき門(かど)も見えぬ哉(かな)〉蕪村 〈菊つくり得たれば人の初老かな〉露伴