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福祉のこころ(2)

介護支援専門員、介護福祉士 増田 仁佳

誰かの為に生きたい

私は、高齢者の介護に必要なサービス計画を立てる、ケアマネジャー(介護支援専門員)です。

福祉活動との出会いは、高校の時に赤十字活動をした事でした。誰かの為に何かをするのは、ドキドキする喜びがありました。でも、「これって自己満足? 自分は偽善者?」という葛藤もありました。

また、大学で専攻した社会福祉学は、その当時はよく理解していませんでした。今日のような高齢社会を迎えていた時代ではなく、貧民救済のセツルメント活動が全盛期でした。福祉国家推進のためには政治を変えなければならないという政権批判が中心で、それはただの政治活動のようでした。行政方針などに不満や恨みを叫ぶことに何の喜びも見つからず、私は、卒業後、福祉の仕事からは離れていました。

しかし、40歳を過ぎてから介護という福祉の仕事に入りました。動機は経済的な理由も大きかったのですが、やはり人の為に何かをしたいという気持ちがありました。その後に、より専門的な介護福祉士となり、ケアマネジャーの試験にも挑戦することになりました。それは、心の奥に、いつも誰かのために何かをしたいという思いがあったからだと思います。

仕事において、本人や家族からの相談には深刻なものもあります。悩みを聞き、一緒に泣いたり、笑ったり、悔しがったり、の繰り返しです。一緒に笑えることは、とても喜びです。人は、自分を受け止めてもらえる相手を探しているのだと思います。孤独を辛く感じ、誰かと関わり、寄り添って、同じ時間を共有したいと願っているのでしょうか。

クライアント(利用者さん)に「これからどのように暮らしたいですか?」と聴き、家族に「どのように看取りたいですか?」と聴くことがあります。ほとんどの方は「いつまでも長年暮らしたこの家で家族と一緒に暮らせたらいいよ」と言います。人にはさまざまな人生があり、最期もいろいろです。「生まれてきてくれてありがとう」で始まり、「生まれてきてよかった」と思えるよう、永遠の世界に旅立つ前の生活を支援していきたいと思っています。

自宅で最期まで暮らせることは幸せです。しかし、絶対ではありません。家族が介護に疲れ、苦労したという恨みを抱いたまま見送るとしたら、もっと切ないことです。だから御家族には「頑張りすぎないで」と話します。在宅での看取りは、寄り添ってくれる人がいれば、無理ではないとは思いますが…。

私はケアマネジャーとして、何人の人を見送ったことでしょう。寄り添うことができたのか、制度の奴隷になっているだけではないかなどと自問したりすることもありますが、正解のある仕事ではありません。朝起きて、まず利用者さんの事を考えている事がよくあり、何故こんなに他人の為に思い悩むのか、自分で苦笑してしまいます。

最近、こんなことを感じます。私を奥底で支えている「誰かの為に生きたい」という思いは、日頃気がつかなくても、私に寄り添ってくれている、もっと大きな愛で愛されている実感があるので、この喜びを誰かに伝えたいという、根源的欲求が私を動かしているのではないかしらと。