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福祉のこころ(6)

福祉施設運営者 大関 博

障害者から学ぶ「ひたむきな生」

日本では、障害の重たい人の為に「一生安心して暮らせる場所」として、多くの入所施設が作られ、(本人の意思では無く)行政側の措置で、コンクリートで作られた空間に集団で収容されてきました。

入所者は、人として生まれながら人生の大半を限られた空間で、決められた規則で管理されて暮らすことになります。管理する側と管理される側という立場だけの関係では、大切な無形の財産ともいえる「人間関係」を築くことは難しいことではないでしょうか。

言うまでもなく障害者は、犯罪者ではありません。鍵を掛けられた場所で、集団生活を強いられることの不自然さや、入所している人たちの本当の思いを受け止めるための状況改善の事例が、国に制度として認められたのは平成元年の前後です。

福祉の制度とサービスは、本来、必要とする人の為に作られていくべきものです。障害福祉に関しては、障害者自身のためというよりも、その家族や親族の要望と安心の為に考えられてきた面がありました。近年ようやく、「その人自身を主人公にした制度」に変えようとする動きが加速してきています。

私が関わっている法人では、障害の種別や程度にかかわらず、「入所者は普通の場所で普通の暮らしを」の思いを強く抱き、街のアパートや住宅を借りて生活の場を提供してきました。障害のために、苦手なことや出来ないことは支援者がお手伝いをします。暮らしの場、働く場、楽しむ場が、街の中の別々な空間に、当たり前にあります。

そこで生活している人の多くは、かつては、気に入らないことがあると他人と自分を傷つけてきた方。施設の外に飛び出して、行方不明になってしまう方。「小さなお風呂に一人で入れることが嬉しい」と喜んだ方などでした。ただ、自分の思いを言葉で表現できず、街の中では暮らすことが難しいと思われてきた方々です。

ここでは、一人ひとりの特性を理解し、思いを受け止めてくれる支援者がいることで、安心して、のびのびと暮らしています。

私自身が障害者の親でもあり、子供に障害があることが分かった時の苦悩と子供の未来に対する心配は、他人事ではありませんでした。

縁があって障害福祉事業の運営に携わるようになって10年余り。当初は障害者の方が日中に通う施設での簡単なお手伝いのつもりでしたが、いつの間にか幼児から大人まで、年齢層も様々な、300人以上の、「街の中での普通の暮らし」を支える忙しい毎日を送っています。

障害福祉の現場ではノーマライゼーション、ソーシャル・インクルージョン、エンパワーメントなど、カタカナで表現される専門用語がたくさんあります。何を意味しているのかよく分からず、戸惑うことも多くありました。いずれにしても、その一つひとつは障害福祉に携わる人が、こだわり、目標にしている言葉ではないかと思います。

さて、福祉とは、人が人に直接届ける無形のサービスであると思います。障害者福祉を担う者にとって、人としての当たり前の感性や人間観、人生観が特に重要な要素となります。なぜなら、人と社会に関する理想的な姿をしっかりと持っていることが大切であると考えるからです。

障害者本人は、障害があることを悩んでいるわけではなく、むしろ、与えられた命の全てを使って、日々を純粋に、ひたむきに生きています。障害福祉に携わる人は、障害者に触れ合う中で、彼(彼女)らのひたむきで純粋な「生」に触れ、人生観が大きく変わるようです。

私も、そのことを多くの人に伝えるために、障害のある方に背中を押されて仕事をしているような気がしています。