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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

世界文化遺産に登録の富士山には精進潔斎と水垢離して登山した歴史も

本稿が出る頃には、富士山がユネスコの世界文化遺産として登録されているだろう。そして迎える7月1日は、富士山の「山開き」の日である。

山開きは、山が登山者に開放される行事で、その年の登山がこの日から解禁となる。

今では、山に登る人の大半はスポーツやレジャー・観光あるいは探検として登るのであろう。そこでしか見られない植生や自然、生物を観賞したり、鍛練した肉体の限界に挑んだり、極めた頂上から広がる大パノラマを楽しんだり、ご来光を仰いだりする。

そんな西洋的な登山観のなかった江戸時代には、山に登る目的はもっぱら信仰による参拝であった。お伊勢さん(伊勢神宮)と同じ参拝の聖地なのである。

「天にそびえる山や峰は、古来、神々が降臨してとどまる所、遠い先祖が神として鎮まる所、農耕に不可欠な水の神が宿る所として信仰の対象」(「日本文化の歳時記7」神職・奈良泰秀氏「サンデー世界日報」平成21年7月5日号)とされた。だから、山岳信仰の聖地である山に人がむやみに入ることは禁じられ、一般の人達は山頂に祀(まつ)られた神仏の参拝や修行のために一定期間だけ入山を許された。

とりわけ、霊峰・富士山山頂は「富士山本宮浅間神社の奥宮が鎮座し、8合目以上は同神社の境内地として特に神聖化されてきた」(「靖國」第695号(本年6月1日)コラム「靖濤」)歴史がある。江戸時代には水無月(旧暦6月)1日は富士山の山開きで、それは山頂の奥宮に参る「富士まいり」の日であった。入山前には精進潔斎(しょうじんけっさい)と水垢離(ごり)して、山開きの日を迎えたことが伝えられている。

と、分かったように講釈してみるものの、私自身が富士山頂を極めたのは40数年も前の20歳前後のとき。2、3度グループで果たしているのはたしかだが、すでに細かいことの記憶の方が怪しくなっている。若さ任せの登山で、ただ登り砂走りを一直線に下るだけの、今でいう日帰り弾丸登山。前述した弁(わきま)えもなかったので、世界文化遺産の中核をなす山頂の奥宮をみても「へぇーっ、こんな所にもお宮があるんだ」と不思議なものを見るように見た覚えがあるだけ。

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最後の富士登山は52歳の2000年(平成12年)8月下旬。日本とウクライナ国旗を手にしたウクライナ人の友人ら5人で登り、彼ともう1人(日本人)が両国の国旗を頂上に掲げて世界平和と両国の繁栄と友好を祈ったが、体力尽きた私ら3人は8.5合目で引き返した。いま、取り出してながめているのは、そのときの登山杖。「5合目須走口」の焼き印はあっても「富士頂上 富士奥宮」の刻印がないのが残念である。

〈三千の松明が消え山開(やまびらき)〉長谷川水青