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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

帰国時のタイミングに合い、1年前に”ベトナムの赤ひげ”眼科医から受けた白内障手術

昨年は8月の日本の平均気温が戦後3番目となる猛暑だった。そして9月も平均気温は平年を1.92度上回り、気象庁が明治31(1898)年の統計開始から最高を記録した。残暑厳しいぐらいでなく、猛暑が続いたのだから堪(たま)らなかった。

暦(二十四節気)の上では昨年も今年も9月は7日から白露(はくろ)、23日からが秋分で、仲秋である。ものの本で白露は「秋はいよいよ本格的となり、野の草には露が宿る」とあるのに、秋はまだ「そより」ともしなかった。

そんな昨年の今ごろ、汗をふきふき頭の中は「どこで白内障の手術をしたらいいのか」が駆けめぐっていたのを思い出す。初夏のわが人生初の入院は前に触れたが、秋にはまた人生初の手術に迫られた。

入院の方は想定外のことで、これがなければそのころに手術をしていたと思う。私の右眼は2、3年前から曇った眼鏡をかけているようで、プラットホームの駅名や新聞の文字が読めなくなっていた。すでに、左眼だけで生活と仕事をこなしていた。

それが正月帰省から戻った新宿駅で、階段を踏み外して3、4段転げ落ちた。途中の踊り場で止まって事なきを得たが、寿命まで何とか持たせようと思っていた左眼も怪しくなった。少し霞んで見え始めていた。それで手術をと思ったが、危急の入院があって後回しになった。

「白内障 日帰り手術は当クリニックで」という看板を掲げる街中の眼科で診察を受けると、入院と薬服用で安定している血糖値なのに、その問題と白内障が深いことのリスクが大きいから「手術は大学病院か総合病院で」と断られてしまった。いつでもできる簡単な手術と思っていたのが、大事(おおごと)になってしまったとショックだった。

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手術は、人を介して紹介された服部匡志先生に願った。服部先生は1年の半分をベトナムに滞在し、最先端の内視鏡を駆使して網膜剥離や糖尿病網膜症などの治療、指導をボランティアで行い、6千人以上を失明から救った”ベトナムの赤ひげ”眼科医である。日本帰国時はフリーランス眼科医として各地の病院をまわる。

丁度、服部先生の帰国時に相談できたのは幸運だった。白内障が進み過ぎているリスクも、10分ほどの手術時間が1時間ほどになるかも、というもので通常手術の想定内でできるという。聖隷(せいれい)富士病院(静岡県)で10月に受けた白内障手術は、幸い両眼合わせて20分足らずで済んだ。1年になろうとする今、何よりも字の小さい聖書や新聞が難なく読めるのがうれしい。

〈野に摘(つ)めば野の色なりし濃(こ)りんどう〉 稲畑汀子