機関誌画像

愛の知恵袋 71

家庭問題トータルカウンセラー 松本 雄司

「心に寄り添う」ということ

家庭で安らぎが得られなかった夫

40の男性と話していた時のことです。「私の妻はしっかりしていて、炊事、洗濯、掃除など、家事全般は実によくやってくれるんですが、私にも細かい要求が多くて、家ではくつろぐことができません。それに、私が何か一言でも不満めいたことを言うと、血相を変えて『こんなに私はあなたをサポートしてあげているのに、何の文句があるの! 今どき私みたいにできる女はめったにいないのよ。有り難いと思いなさい!』と言って怒ります。そう言われたら、返す言葉もありません。でも、何か違うんですよね…。なぜか、幸せな気分にはなれないんです」。

しっかりした夫と暮らして、疲れはてた妻

実は、これは男性だけの悩みではありません。先日、50代の女性の相談を受けた時にも、同じような不満を聞きました。

「結婚して25年になりますが、夫は会社では”やり手”と評価され、地域でも細かい事に気がつく良い人だと言われています。確かに、仕事をきちんとやって生活費を稼いでくれるし、人に騙(だま)されるようなこともない頼もしい人なので有り難いと思っています。しかし、家庭生活では、掃除の仕方から料理の仕方まで、そして、夫の家族や親族との接し方にも細かい注文を付けられるので、いつも監視されているようで、気楽に過ごすことができません。もう疲れてしまいました」と大きなため息をつくのです。

マルタとマリヤの二つのタイプ

私はこのお二人の話を聞きながら、聖書の中に出てくるマルタとマリヤの姉妹のことを思い出しました。こんな話です。

「一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へ入られた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとに座って、御言に聞き入っていた。ところがマルタは接待のことで忙しくて心を取り乱し、イエスのところに来て言った。『主よ、妹が私だけに接待をさせているのを、何ともお思いになりませんか。私の手伝いをするように妹におっしゃってください』。主は答えて言われた、『マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良いほうを選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである』」(新約聖書ルカによる福音書第10章)

「しっかり型」と「寄り添い型」

ここには、二つのタイプの女性が登場しています。姉のマルタは、「しっかり型」タイプの女性。妹のマリヤは「寄り添い型」タイプでしょう。ここで私が言う「寄り添う」とは、「相手の心に寄り添う」という意味です。

この二つの能力は、私たちがこの世を生きていくうえで、どちらも大切なものです。

また、この二つのタイプは、男性にも女性にもいます。結婚生活の伴侶として、どちらのタイプを望むかは、人によって異なるかもしれません。

ただ、一つ言えることは、本当の安らぎや癒やし…つまり、深い幸福感は、「寄り添い」の精神を持った人からでなければ得られないであろうということです。相手の心の痛みや願望を察知し、それに添ってあげる…という心です。

長い結婚生活で、私たちが伴侶に期待し求める最後のものは、「愛と癒やし」ではないでしょうか。現実に多くの夫婦が、伴侶からの愛と癒やしが得られずに、身もだえしています。これは親子の関係でも言えます。

夫婦や親子が幸せを感じられないのは、経済的に困窮しているときだけではありません。なに不自由のない生活をしている人でも、幸せを実感できないで心が飢え渇いている人は多いのです。

「寄り添う力」を身につけよう

この二つの能力を「持つ人」と「持たない人」という観点で分けると、人には四つのタイプがあります。

そこで、四つのタイプのうち、「結婚の伴侶として最も理想的な人物は?」と問われれば、言うまでもなく「しっかり力」と「寄り添い力」を兼ね備えている人です。その次は、「しっかり力」は乏しいが「寄り添い力」を持っている人でしょう。3番目が、「寄り添い力」は乏しいが「しっかり力」は持っているという人。最後が、そのどちらも持たない人…ということになります。

夫婦ともに幸せになるために、私たちは目の前の伴侶に対して、表面的な面倒を見るだけでなく、相手の心の中をのぞいて、それに寄り添ってあげることのできる人になりたいものです。