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世界の音楽と家庭 [15]

音楽評論家 吉川 鶴生

愛の絆を取り戻す宗教音楽

中世音楽と神への讃歌

音楽は人類の歴史と同じくらい古い時の流れに支えられていると見てよいでしょう。その起源はともかくとして、古くは宗教儀式との結び付きが極めて強かったことは事実です。紀元後に限って言えば、西洋ではキリスト教と賛美歌、聖歌の緊密な関係、東洋では仏教と声明(しょうみょう)の一体性、洋の東西を問わず、音楽が神仏への崇敬を表す有力な手段として用いられてきたことは疑いようもありません。

中世の定義は様々ですが、早くは西洋では6、7世紀をもって中世に入ったと考えることもあり、日本では平安時代末期あたりからと考えられていますので、西洋よりも日本の古代のほうが長く続いているような感じになります。

宗教と結びついた古い時代の音楽は一つの声部しかない単旋律(モノフォニー)が特徴であり、これは東西において変わらない特質です。そして、忙しく賑やかな音楽というよりも、ゆったりと流れる朗詠が著しい特色をなしています。例えば、13世紀あたりのグレゴリオ聖歌「ディエス・イラエ(怒りの日)」※1を聴くと、そのタイトルとはかけ離れて、極めて優雅に歌われているので、神の怒りがどこにあるのかといった疑問がよぎるほどです。

西ヨーロッパのカトリックの音楽と東ヨーロッパのギリシア正教系の音楽を比較しても、大きく変わることはありません。ブルガリア正教の音楽※2も同じような響きを持っています。神の母とまでマリアを高めた音楽「おお、純潔なる乙女」※3を東ローマの首都であったビザンチンの教会が歌う場合でも、その単旋律の神聖な響きはローマ・カトリックに近似しています。音符の一本の線が、器楽伴奏もなく単旋律の頌栄(しょうえい)と賛美で歌われるという音楽の素朴な形態が、込み入った音楽手法の現代の音楽よりも却って人々の魂を打つように感じられるのは不思議なことです。

声明で信者の心を高める仏教

キリスト教と全く同じようなことが仏教の方でも起きています。奈良時代に盛んになった仏教は、平安時代になってますます民衆の中に定着するようになりますが、そのとき、お経の教えを歌うことによって民衆の心に染み込ませる手法が大いに力を発揮したのです。

漢文のままの時もありますが、難しい漢文のお経では全く何を言っているのか分からないところを、日本語に分かりやすく訳した和讃などで聞かせてくれると、一遍に信者との距離感が縮みます。ただお経を読むのではなく、節回しをつけて、一定の抑揚や調子の中に民衆を惹きつけるのです。着飾った大勢の僧侶たちが揃って、お経を同じ音調で声明する様は、信者たちからすれば、非常にありがたく、崇高な気持ちにさせてくれるものであり、効果的なやり方であると言うしかありません。

冷静に考えれば、中世のキリスト教が西洋で採った手法と、同じく中世の仏教が東洋で採った手法が酷似している事実には、正直、驚いてしまいます。このようなことを「共時性(シンクロニシティ)」と言うのでしょうか。例えば、真言宗に見る声明など、非常に分かりやすいかたちで現代に蘇らせている声明コンサート※4がありますが、こうなると、仏教も音楽的に人々の心に入ってくるということになるのでしょうか。長谷寺の和讃※5も煌(きら)びやかに纏(まと)った僧侶たちの袈裟(けさ)とその分かりやすい声明が漢文経典の難渋さから人々を解放し、信者の心を和らげています。比叡山の天台宗の声明※6などは少し古風な格調を保っているように感じられます。

宗教が目指す家庭と世界の平和

宗教音楽の原点とも言うべき中世時代の単旋律音楽の直截(ちょくせつ)簡明な響きを見てきましたが、ややこしい解説など要らない、そのまま聴いて何かを感じ、心を浄化し、神仏に対する信仰を失わず、人生を清く正しく生きていってほしいというメッセージを深く受け止めることができれば、宗教音楽のほうも大いに満足してくれることでしょう。

現代はあまりにも猛スピードで、忙しく、すべてが動いているように見えます。宗教はその本義を尋ねると、間違いなく、「平和」を願っているということに尽きると思います。どの宗教もそうだと断言してよいでしょう。宗教音楽のあのゆったりとした音調は、各人の魂を鎮めることに効果的であり、そのことによって愛の絆を家庭の中に、そして世界の中に取り戻せといっているようです。たまには、宗教音楽にじっくりと耳を傾けるのもよいのではないでしょうか。グレゴリオ聖歌などのCDを家の中に流すと要らぬ心配や雑念も消えてしまうかもしれません。

文中で紹介されている曲は以下のサイトから聴くことができます。
 (クリックすると、別ウインドウまたはタブで外部サイトが開きます。)

  1. グレゴリオ聖歌「ディエス・イラエ(怒りの日)」
    Gregorian Chant, Dies Irae - Catholic Hymn
     http://www.youtube.com/watch?v=NCCivVL6W2Q
  2. ブルガリア正教の音楽
    Music of the Eastern Orthodox Church Bulgarian Chant
     http://www.youtube.com/watch?v=NWCbA7-PiNc
  3. 「おお、純潔なる乙女」
    O Virgin Pure-Orthodox Byantine Chant
     http://www.youtube.com/watch?v=WkqZbFQb0O0
  4. 声明公演 平安仏教の響き
    声明公演 平安仏教の響き ハイライト1 オープニング〜
     http://www.youtube.com/watch?v=kbHbpf8NoSY
  5. 総本山長谷寺和讃
    御詠歌コンサート(H21.3.4) 8.総本山長谷寺和讃
     http://www.youtube.com/watch?v=82hfL-mNsaA
  6. 天台宗の声明
    天台声明・海老原廣伸
     http://www.youtube.com/watch?v=_GCIaulniSg