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福祉のこころ(16)

峯 英彦

認知症高齢者との出会いから…

4年前、ハローワークに行く途中に書店に立ち寄って目に留まった、ホームヘルパーの本を見ていたら、アルツハイマー認知症を患って他界した母のことを思い出しました。それがきっかけで、グループホーム(認知症対応型共同生活介護)に就職し、現在に至ります。

初めの頃は、自分の母の介護をしたことがあるだけで経験はなく、戸惑うことばかりでした。母でも大変だったのに、他人の下の世話などできるだろうかと思いました。

しかし、時が過ぎると、利用者の方の心を理解し、どう対応していくかについての悩みが大きくなってきました。

ある男性利用者の方が、毎日昼過ぎになると落ち着きがなくなり、「私はもう家に帰ります」と言いはじめ、誰が止めようと出て行かれます。自分の家がどの方角かも分からないのに、それでも歩き続けるのです。私が後ろから付いていくのですが、それが分かると近づいてきて、「帰れ!」と言われるのです。それでも、本人が疲れ果てて座り込んでしまうと、言い含めて持参した車椅子に乗せてホームに帰ります。

前、施設職員がその方に「○○さん、夕方には家に帰る車が出ますから、もう少し待ちましょうね」と言っていました。私も、本当に車が出るものだと思い、「○○さん!良かったね」と言っていました。ところが、それは一時しのぎのウソだということが分かりました。

認知症の方の対応には、ウソも必要なのだと、この時思ったのですが、職員が語る「仕方がないでしょ!」の言葉がショックでした。だから、自分が付いて行ける時は、利用者様の後ろから付いて行きました。

このような介護支援のあり方などに、何の意味や価値があるのか分からず、虚しくもなりました。しかし、ある時、一生懸命にあきらめず歩く後ろ姿に、感動して切なくて、自然に涙がこぼれてきました。「○○さん。どこまでも後を付いて行くから、本当の幸せを見つけてよ!」と、心で叫んでいました。

息子さんが、たまに紙おむつを持って来られますが、父親であるその方は相手を息子さんと認識することができないため(見当識障害)、二人ともだまったまま話もせず、紙おむつを置いてすぐに帰ってしまわれます。

私も母を介護した時の経験があり、施設や病院に見舞いに行っても、認識できていない母親にどう対応していいか分からず、また、そこの雰囲気に入れずに帰ってきたことが何度もありました。私の兄は、「認知症の母の姿なんて見たくない」と言い、一度も見舞いに来ませんでした。その時は「兄貴は勝手だなあ」と思いましたが、今は、彼の心が少し分かります。

さて、最近では施設におられる利用者様一人一人に対して、自分の家族のように相対(あいたい)しています。介護職は、利用者様とその家族の絆を、もう一度深く結び合わせる仲介者の役目があると思っています。

今後は、もっと介護の仕事に誇りを持て、また、家族や、地域社会に住むみんなが人体構造のように、互いに支え合える「ソーシャル・インクルージョン」の理念による包括的な支援ができる施設をつくりたいと思っています。