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福祉のこころ(22)

病院事務 幸田 明子

看取りについて思うこと

いつのころからだろう。最期を迎える場所が自宅ではなく病院であることが日常になったのは。

厚生労働省の資料によれば、1950年には自宅での死亡が82.5%に対し、病院での死亡9.1%。1978年頃に病院と自宅での比率が逆転し、2009年には自宅での死亡が12.4%に対し病院での死亡が78.4%となっており、その他の場所には老人ホーム等の施設や診療所がはいる。

幼い時に大好きな祖父を胃がんで亡くした時の記憶がよみがえる。胃を切除し、やせ細った祖父は家族が集まる居間に布団を延べて横になっていた。意識がはっきりしないことも多く、口から栄養を摂ることは難しくなっていたが、孫の私からだと食べるからあげてごらんと言われ、プリンを口に運んであげた。1か月ほどのち、季節外れのザボンが食べたいといい、家族がようやっと手に入れたザボンを口にして祖父は旅立った。幼い私には死が何かはわからなかった。寂しさは、あとになって今なお湧いてくるが、静かに息を引き取った時、幼いながらに、この地上での祖父の闘いが終わり、天に安らかに召されたのだというすがすがしい思いが残った。そして、祖父の闘病の間に培われた思い出が、私の心にしっかりと刻み付けられた。

先日、高校生が病院見学に訪れた。偶然にも100歳を超えた患者様がお亡くなりになった現場に遭遇した。その現場は彼らにとって衝撃だったようだ。彼らは、まず、人が亡くなったにも関わらず冷静に黙々と業務をこなす医療者の姿に驚き、病院で安らかな死を迎えることがあることに驚いた。

彼らの感想は今の世情をよく表しているのではないかと思う。まず、彼らは身近な人の終末期や臨終を経験したことが無いということ。そして、高齢者が医療を必要としながらも、寿命として最期を迎えていくという現状を知らないということだ。つまり、超高齢化社会を迎え、それを背負っていく世代と高齢者の生活圏が隔たり、切り分けられている現状がある。

医療者は患者様に寄り添い、患者様やご家族の要望に最大限こたえるべく日々努力を積み重ねている。入院という平常ではない環境から早く脱して退院できるように、そして、入院している間は少しでも不安を取り除いてさしあげられるように努力をいとわない。しかし同時に、どの患者様であっても自宅がベターであることも心得ている。たとえ独居の状態であっても…。

在宅医療を推進すべく政府も舵取りするようになったが、福祉先進国のように独居高齢者が全体の半数を超えるような社会でも、看取りまで福祉で補える仕組みを整えることは一朝一夕にはできない。早急な行政の取り組みに期待すると同時に、病院は在宅医療の後ろ盾としての機能を充実させ、患者様にはリビングウィル(延命措置の可否など)を確認するといった備えが必要である。終末期は必ず訪れる。その現実から目をそらすことはできない。

地域での高齢者見守り体制づくりに乗り出した所もあるが、三世代同居、そして親族がことあるごとに集まる文化が消えていく中で、世代を継いでそのような体制が取れるのか。私の心に刻まれた祖父の記憶に、ふと語りかける。