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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

師走に見たとげのある深緑葉の間に隠れるように咲く柊の品のいい小さな白い花

柊

師走の喧騒をよそに自然の緑や彩りが乏しくなるこのごろとなった。昨年は近くのスーパーの入る商業施設の周りの花壇で、柊(ひいらぎ)がとげのあるつややかな深緑葉(ふかみどりば)の間に隠れるように咲く、品のいい小さな白い花を見て、そのコントラストが醸す毅然とした美に見とれたものである。トゲトゲした葉からひりひり痛むことの「疼(ひひら)く」が名の由来となり、魔除けに庭に植えられてきた。

常緑の美しい葉に鮮やかな赤い花の山茶花(さざんか)や赤い実をつけて縁起がいいと喜ばれる庭の千両、万両、南天が生き生きと映る時期でもある。

立冬(11月7日)、小雪(しょうせつ)(同22日)が過ぎると、木枯らしと雨に打たれて紅(黄)葉も散りゆく。太宰治は小説「右大臣実朝」の中で「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」と実朝に語らせている。紅葉のあとにくる落葉も、滅びの前に明るさを見た太宰のように、樹木の命を次につなぐ明るさを帯びる。大雪(たいせつ)(12月7日)の今ごろは土にまざって腐葉土となり、また命が始まるのである。

あらかた葉を落とした冬の雑木林は、大胆な刈り込みでこずえや枝元も取り払われて、短髪の人を見るように清々しい。透き通るような青い空。やわらかな冬の日が幹やこずえの間を抜けてさしかけ、辺りは明るい。風は冷たいがしずかな時間が流れる、そんな師走の風景も悪くない。

藤沢周平の短編集に『静かな木』(新潮文庫)がある。表題作は、馴染みの寺の老木に、老境にある主人公の淡々とした心象を重ねた描写が深く心に響くのである

「……幹も、こまかな枝もすがすがしい裸である。/その木に残る夕映えがさしかけていた。遠い西空からとどくかすかな赤味をとどめて、欅は静かに立っていた。/——あのような最期(さいご)を迎えられればいい。/ふと、孫左衛門はそう思った」

主人公はこのあと、事件に巻き込まれるが、それが片付いた後で心境が変わり、短編はこう結んでいる。「——生きていれば、よいこともある。/孫左衛門はごく平凡なことを思った。軽い風が吹き通り、青葉の欅はわずかに梢(こずえ)をゆすった。孫左衛門の事件の前とはうってかわった感想を笑ったようでもある」。

年越しそばに舌鼓をうち、荘厳な除夜の鐘に1年の垢を落とし、よい新年のお迎えを。

〈いざや寝ん元日は又翌(あす)の事〉 蕪村