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世界の芸術と家庭 [3]

岸田 泰雅

聖家族の試練

幼児を伴って逃げ出す家族

フランスのギュスターヴ・ドレ(1832〜1888)という画家は、聖書の物語を丹念に挿絵にした画家として知られる。たかが挿絵にどれ位の芸術的価値があるのかと訊かれれば、油絵を描き上げるのと挿絵を描き上げるのとでは、芸術としての深みが全然違うという見方が一般的かもしれないが、聖書を読む人々にとって、ドレの挿絵が版画で広がったことで聖書の理解を助けるのに一役買った貢献は否定できない事実であろう。旧約聖書の挿絵155点、新約聖書の挿絵78点、合計233点の聖書挿絵を描いた。233点の挿絵を見ながら聖書を読むのは楽しいことであり、聖書物語に対するドレの想像力がいかなるものであったかを知るのも興味をそそられる。

絵

「エジプトへ逃避するヨセフとマリア、マリアの腕に抱かれている生まれたばかりのイエス」という只ならぬ家族逃避行の挿絵を見るとき、異国へ逃げ出す家族というテーマそのものが異常な緊迫感を漂わせる。ヨセフが後ろを振り向いている姿は、明らかに追っ手を心配している様子であるが、実際、追われるような状況の中でエジプトへの逃亡を決行しているのである。聖書を読むと、イエスが生まれた時、東方から来た三博士が、ユダヤの王が生まれた徴(しるし)を見たのでその子を拝するために来たと記されている。そのことを知ったヘロデ王は自分の地位が危うくなると心配した。予言されたユダヤの王はベツレヘムに生まれると聞いて、ヘロデ王はベツレヘムの2歳以下の幼子たちを全員殺すように命じ、その通りにした。そのような状況を危機一髪で逃れ、エジプトへ発(た)ったのが「ヨセフ、マリア、イエスの家族逃避行」であった。イエスは地上に生まれ出た瞬間からその命を狙われた人物であるという恐ろしい物語を一幅の挿絵にしたためたドレであったが、この異常な物語を描かずにはいられなかったのである。

ヘロデ王が死んだ後、ヨセフとマリアはイエスを連れて、イスラエルに戻った。イエスという人物を思うに、33歳で十字架にかかって亡くなったというのも悲劇であるが、生まれた瞬間から命を狙われる運命を背負ったというのも悲劇である。

挿絵に生きたギュスターヴ・ドレ

ドレは聖書物語を233点の挿絵にしたばかりではない。ダンテの「神曲」を127点の挿絵に仕上げた。また、ミルトンの「失楽園」を50点の見事な挿絵に描き上げた。豊かな文学的想像力と精緻な画法によって仕上げた挿絵が、「聖書」「神曲」「失楽園」と並べば、これはキリスト教的世界観の一大万華鏡世界である。

ドレの作品を見て、驚かされるのはやはり卓越した想像力ということであろう。「聖書」挿絵は比較的に歴史的事実ないし真実に基づいた作品になるため、想像力の飛躍感というよりも写実性を含んだ自然主義の香りを感じさせる一方、「神曲」挿絵や「失楽園」挿絵のほうになると、ダンテやミルトンの文学的創造性が原作に豊饒(ほうじょう)にあるため、挿絵のほうも想像的あるいは幻想的なものが多くなっている。想像力の翼を勢いよく羽ばたかせている。

ドレが「聖書」「神曲」「失楽園」に描いた挿絵の総数は410点にのぼる。これは相当なエネルギーの投入と言わざるを得ない。単に挿絵を描くという作業ではなく、一つの挿絵を描くための「聖書」の読み込み、「神曲」の読み込み、「失楽園」の読み込みが当然要求されるのであり、熟読玩味の読む力とそこから得た画題を実体化させるための想像的創造性の二者の絡みがドレの人生の大部分の時間を支配していたと言える。

誕生の瞬間から試練を受けるイエス

ドレの「ヨセフ・マリアのエジプト逃避行」の一枚は、イエスの命を救うためにエルサレム脱出を余儀なくされた聖家族の物語である。もし逃げていなければ、イエスは生まれてまもなく殺されていた。そうするとキリスト教という宗教は歴史上にない。なぜ、ヨセフは逃げたのか。主の使いがヨセフの夢に現れ、ヘロデがイエスの命を狙っているから、逃げるようにと警告したからである。そのように聖書は記している。誕生の時から生死の境を行くような人生を生きていかざるを得ないイエスを抱えたヨセフとマリアの家庭であるが、これは尋常ではない。

ドレが描いた画は歴史的背景が分からなければ、何でもない一枚の画に過ぎないが、背景を理解すると、恐るべき画となる。ヨセフが振り返る姿の中に、追っ手を恐れる不安な心理と共に、イエスを守ろうとする強い意志が表示されている。