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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

終戦の日にハワイ真珠湾で華開く三発の長岡花火「白菊」に込めた鎮魂・慰霊の祈り

「今年の花火どこへ行こうかな」

貼り絵の天才で「放浪の画家」と呼ばれた山下清さんが昭和46(1971)年7月に、東京・練馬の自宅で家族に語った最期の言葉である。49年の生涯であった。

”花火大好き人間”だった山下さん。代表作が夜空いっぱい色とりどりに華開く七つの大輪を描いた「長岡の花火」(昭和25年作)で、他にも花火の作品を数多く残した。最期の言葉からも、花火を見に行くことに子供のように心をわくわくさせていた姿が伝わってくる。

山下さんは、日本一と評判の高い長岡花火大会の代表作を描く前年に、ふらっとやってきて見とれた。その後もたびたび長岡を訪れたというから、何かが山下さんの心を捉えて放さなかったのだろう。

明治期に始まった長岡花火大会は先の大戦時に中断され、長岡市も終戦直前の昭和20年8月1日に大規模な空襲で市街地の8割が焼け約1500人が犠牲となった。それでも2年後には花火大会を復活させた。山下さんの描いたのは、鎮魂と再生への願いをこめて夜空に輝いた華の光の輪であった。

慰霊の花火「白菊」
長岡まつり前夜祭 慰霊の花火

今年も「長岡大花火大会」は8月2、3日の両日夜に行われる。例年通り、前夜祭の1日夜は白一色の「白菊」という名の清楚(せいそ)な花火が3発だけ打ち上がる。戦没者慰霊の「白菊」は2日夜の大会冒頭でも、夜空に真っ白な3発の大輪を浮かべる。

そして、終戦から70年を迎える今年は終戦の日に、特別行事が控える。長岡市が姉妹都市提携をしてきた米国ハワイ・ホノルル市の真珠湾で、長岡花火の大輪が華開くのだ。

「長岡市で47年から続く『長岡花火』は、戦没者の慰霊と平和への祈りが込められている。こうした趣旨がホノルル市民に浸透し、両市は節目の年となる来年8月、真珠湾での打ち上げに合意。終戦の日の同月15日に『白菊』と呼ばれる花火を3発、翌16日はさまざまな種類の約2000発を打ち上げる」(「世界日報」平成26年12月4日付)

長岡市は真珠湾攻撃を指揮した山本五十六・連合艦隊司令長官の生誕地で、その記念館がある。残念ながら私はまだ記念館も長岡花火大会も見ていないが、長岡には今年の春先に訪れた。市内にある「米百俵之碑」と花火大会会場の信濃川河川敷を見てきた。堤防には与謝野晶子の歌碑「あまたある河に一つづつ水色の越の山乗る信濃川かな」が建っていた。