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世界の芸術と家庭 [9]

岸田 泰雅

画家の家族の肖像

肖像画家、ハンス・ホルバイン

家族の肖像

ハンス・ホルバイン(1497−1543)という画家がいる。ルネッサンス期に活躍したアウグスブルグ生まれのドイツ人画家であるが、活躍した場所はイギリスのロンドンである。英国王室の王家の肖像画を描き、そのリアルで卓越した技巧の写実力は見る者を驚嘆させた。とりわけ、ローマ・カトリックと袂(たもと)を分かち、新たに自らが首長として納まった英国国教会を出帆させたヘンリー8世の等身大の肖像画は余りにも有名である。

その彼が、自身の家族の肖像画を描いている。ホルバインが31歳のとき(1528年)に描いた「画家の家族の肖像」スイス、バーゼル美術館蔵)として知られている作品である。母親のエリザベスが二人の子(長男のフィリップと妹のカテリーナ)を抱いて、どこか遠方に視線を向けている。よく見ると、母親の表情はどことなく暗い。何か心配事でもありそうな表情である。母親だけでなく、二人の子供も不安げな様子である。息子のフィリップが見上げて、母親の顔をじっと窺(うかが)っている。明らかに、母親の心配事を察知しているかのようだ。娘のカテリーナも泣き出しそうな表情をしている。

この作品は、ホルバインがロンドンで画業に励んで、家族を置いていたスイスのバーゼルに戻ってきたとき、留守を預かっていた妻と子供たちを慰労するかのように彼らの肖像を描いたものである。そういう状況下での作品である。

家族と離れ異国の地で亡くなる

ホルバインは、画家の一家である。父も全く同じ、ハンス・ホルバインという名で、有名な画家であり、兄のアンブロシウスも画家である。そういう恵まれた環境に生まれ育ったこともあって、ホルバインは早くから画家としての才能を開花させた。スイスのバーゼルで修業を積んだ後、当時、バーゼルにいた人文主義者のエラスムスの紹介によって、ロンドンのトマス・モアを頼っていくことになる。1526年のことである。

2年の歳月が経ち、1528年、一旦、バーゼルに帰ったときに、家族の肖像が描かれた。夫の留守のあいだ、妻は二人の子供を懸命に育て、夫がやっと帰ってきた。夫は家族サービスで肖像画を描いたと思われる。しかし、妻も子供たちもその表情はパッとしない。そのままの表情を忠実に描いた作品になった。この画に漂う不安げな空気は、「またロンドンへ行ってしまうの」という妻の気持ちが消えないところを、子供たちまでが「お父さん、行っちゃうの」という気持ちで同調しているので、全体的に家族を覆う気持ちの暗さが出てしまった。そんな作品であろう。

1532年、再び、ロンドンに渡って、ヘンリー8世の宮廷画家となったホルバインは、大いに活躍し、宮廷関係者の肖像画を数多く残した。1543年、ホルバインはペストに犯され、ロンドンで亡くなった。

結局、ホルバインは、「画家の家族の肖像」を描いて、1532年、ロンドンに再び出発するまでの4年間、家族と共に過ごし、それを最後に、家族と一緒に生活する機会を得られないまま、異国の地で息を引き取った。思えば、「画家の家族の肖像」は家族との思い出として残された貴重な作品となったのである。

妻と子供たちの不安な表情は、その後のホルバインの人生行路を見ると、まさに的中している。ロンドンに渡ったきり、ホルバインは家族と再会することなく、そこで一生を終えたのである。ホルバインは、「妻よ、私を許してくれ」「子供たちよ、父を許してくれ」という自責の念を引きずりながら異国で寿命を終えた。仕方はないが、それも一つの人生と見る他ない。

エラスムスやモアを知る手がかり

歴史家たちにとって、ホルバインは、非常にありがたい画家である。なぜなら、「エラスムスの肖像」(1523年)と「トマス・モアの肖像」(1527年)がホルバインの手によるものであり、二人の表情がしっかりと描かれたことにより、後世の人々は、その著作だけでなく、エラスムスとモアに対して親近感を抱き、リアルな感情を呼び起こすことができるようにしてくれたからである。

英国が大陸の影響から離れ、アングリカン・チャーチの独自の宗教的立場を確立した英国近代史の黎明期、英国王室の人物群の肖像が、ヘンリー8世を頂点にして、ホルバインによって数々描かれたのも、歴史を研究する者たちにとって貴重な一級の資料となったのは言うまでもない。ホルバインの妻が「あなたは立派な仕事をしたわ」とあの世で夫に寄り添って囁(ささや)いているとしたら、それ以上のことはないのだが。