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世界の芸術と家庭 [13]

岸田 泰雅

家族を守る米国の伝統的価値

アメリカの農家の父と娘

アメリカン・ゴシック

シカゴ美術館に『アメリカン・ゴシック』と題された油彩がある。アメリカを代表する有名な作品で、中西部の農家の父と娘を描いた絵であるとされるが、夫婦のようでもあり、はっきりしたことはわからない。この作品は、1930年の発表作であるから、ちょうど、1929年の大恐慌の翌年に当たる作品である。作者は、グラント・デヴォルソン・ウッド(1891〜1942)で、50歳を超えた頃に亡くなっている。グラント・ウッドはアイオワ州の生まれで、まさに米国の中西部を代表する農業州とも呼べる所に生を受けた。彼の作品の多くに田園風景が選ばれているのも肯(うなず)ける。

グラント・ウッドはほのぼのとした田園風景を描くのであるが、近現代の写実性とか抽象性には程遠く、どこか中世的な、児童向けの絵本といった感じの作品を多作している。『アメリカン・ゴシック』は、父娘の入念な写実描写に比べ、背景の家や樹木は画一的な描写である。謹厳な父親の顔と、それと同じくらい真摯な表情の娘が、何を思っているのかじっとこちらを見ている。父親が持っている干し草用のピッチフォークは農家のシンボルのようであり、機械化時代の用具としては、少し古いような感じがしないでもない。

両極の解釈を生む絵画

グラント・ウッドの『アメリカン・ゴシック』については多くの解釈がなされてきた。まず、画題の中にあるゴシックという言葉であるが、これは中世のゴシック文化が神秘、異端、闇、死などの連想を持っていることから、色彩では「黒」に当たるとされ、『アメリカン・ゴシック』の中の二人が黒を纏(まと)っていることで、ゴシックの意味が理解されるとする。そして、ゴシックの意味する「死」は何かと言えば、19世紀的な前近代的農夫の姿がそれであり、家の窓もゴシック風建築様式で、その時代遅れを揶揄(やゆ)していると言う。大恐慌の経済不況で、前近代のすべてが押し流され、あたかもアメリカの伝統的風景の「死」が宣告された状況であるとでも言うのだろうか。しかし、もっとポジティブに解釈し、父はピッチフォークを持って家の前に立ち、自分で自分の土地を守るピューリタン的な家父長の威厳と責任を表しており、それを見守る従順な娘の姿が描写されている、つまり、健全なクリスチャン家庭の美徳を保持する米国の姿を彷彿(ほうふつ)とさせるゆえ、これはアメリカの伝統的価値観を表現しているのだと言う。否定的解釈と肯定的解釈の両極端がこの作品を巡って交錯する。グラント・ウッドは何を考えながらこの作品を描いたのであろうか。

地域主義という米国の芸術運動

最近、『アメリカン・ゴシック』の男女二人のモデルが、女性の方は、ナン・ウッド・グラハムで、グラントの妹であることが判明した。男性は、グラントがよく通っていた歯医者のバイロン・マッキービーである。そう言われてみると、男は農夫というより、どこか知性的職業の香りが漂っている。妹のナンは、1932年のグラントの自画像と比べると、確かによく似ている。モデルが誰であったかという問題は、『アメリカン・ゴシック』がいかなるモチーフを持っているかというテーマに、直接、繋がるものではないが、妹とかかりつけの歯医者をモデルに設定するあたりは、グラントの身近主義とでも言おうか、彼の気質が現れている。グラント・ウッドは、しばしば、「地域主義」という芸術用語の文脈で論評される。地域主義は現代アートの運動の一つであり、特に、米国のリアリズムの画家たちによって主導された。主に、1920年代から50年代にかけて起こった芸術運動であり、その高潮期が1930年から35年ごろまでである。『アメリカン・ゴシック』はまさにそうした運動の絶頂期に世に出た作品である。非人間的な都会生活を避け、田園生活の中に人間の本当の生き方や価値を見出そうとした芸術家たちの地域主義運動を担ったグラント・ウッドは、生まれ故郷のアイオワをその舞台として選んだ。アイオワの自然を中心に、さまざまな田園風景を描いたグラントの作品は、自然、田園といったものの豊かさに対する彼の強い愛着を表現している。そう見てくると、むしろ、この絵は、前近代的な農夫の姿の揶揄と取るよりも、田園地帯に根強く残るアメリカの伝統的な価値への執着と回帰を訴えるグラントのアピールのように見える。妹のアンに対する愛情も大きなものがあったに違いない。かかりつけの歯医者バイロンへも深い友人としての思いがあったことだろう。アイオワの故郷にある家族的紐帯(ちゅうたい)、家族付き合いの中に大きな価値を見出していたグラントであるとすれば、『アメリカン・ゴシック』は家庭と家族を守る米国の伝統的価値を象徴する偉大な油彩画である。