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世界の芸術と家庭 [15]

岸田 泰雅

農村の敬虔な家族像

農民夫婦の敬虔な祈り

晩鐘

洋の東西を問わず、絵画の世界において、もっとも有名な画の一つに挙げられるのが「晩鐘」であろう。作者のジャン=フランソワ・ミレー(1814−1875)は、農村に生きる人々を描いた農民画家として知られているが、「晩鐘」は45歳のときに描いた作品である。絵画の舞台となっているのは、パリの南東65キロに位置するバルビゾンの村である。夕暮れの時に鳴らされる教会の鐘に合わせて、1日の農作業を終えた若い夫婦が祈りを捧げている光景は、観る者たちの心を打つ。大地に生きる純朴な農民の心に宿る深い信仰心が伝わってくる。

おそらく、この画の中から伝わってくる敬虔な信仰の姿は、ミレーその人の心象と完全に合致するものと推測される。ミレー自身、農家の生まれであり、祖母の深いカトリックの信仰心に包まれて成長した経緯からすると、このような農民夫婦の敬虔(けいけん)な祈りの姿は、描かれるべくして描かれたと言ってもよいだろう。遠くに教会の塔が見えるが、ここから鐘の音が響き渡ってくるのだろう。一面の麦畑が広がる光景の中で、農民夫婦が立っているところだけは、ジャガイモを植えた畑になっている。想像するに、麦畑に適さない少し痩せた畑であるため、ジャガイモの栽培を行っているものと思われる。痩せた畑を耕して生きるこの夫婦は、おそらく、貧しい農民夫婦である。それゆえに、一層、この夫婦の敬虔な姿が神にすがって生きる魂を表出させているようで、何とも言い難い。

バルビゾンの静寂を愛したミレー

ミレーはパリで過ごした若い頃から、どうも、都会の喧騒(けんそう)になじめなかった。画の修行のため、パリでの生活は必要なことであったとは言え、パリの街を愛することはできなかった。ミレーの生まれた場所は、ノルマンディー地方のマンシュ県の海辺の小さな村であるから、ミレーの心象風景は農村地帯の光景に占領されていたにちがいない。8人兄弟の長男であるため、下の者たちの面倒を見る責任感もどこかにあったことだろう。祖母に深く愛され、彼女のカトリック信仰に強い影響を受けたミレーは、信心深い青年となり、祖母の勧めで画家の道を歩むようになった。

パリで修業し、いろいろと生活苦にあえぎながらも、最初の妻となるポーリーヌとの結婚を果たすが、3年後に死別し、召使に雇っていたカトリーヌと結婚するに至った。35歳の時、ミレーはカトリーヌと生まれたばかり の子供を連れ添って、パリを離れた。引っ越し先は農村地帯が広がるバルビゾンである。このバルビゾンで数々の名作を描いていくことになる。「晩鐘」、「落穂ひろい」、「種まく人」、「羊飼いの少女」など、バルビゾンが与えたインスピレーションに従って、ミレーは傑作を残し、農民の生活を愛し、農民の姿を描く農民画家として、後世にも残る大いなる名声を成したのである。バルビゾンを愛した画家は多く、ミレーのほか、コロー、ルソーなど、いわゆる「バルビゾン派」と称される一派をなしたほどである。

画の解釈を巡る有名な論争

「晩鐘」は、世界中の他の画家たちに非常に大きな影響を与えた。とりわけ、二人の人物が有名である。ゴッホとダリである。ゴッホは、ロンドンの画廊に勤めていたころ、ミレーの複製画に出会い、感銘を受ける。そして、ミレーの複製画をいろいろと集め、それを繰り返し模写して、自分の画技を磨いていったのである。ミレーの人物像、すなわち、貧しく敬虔で信仰深いこと、質素な田舎生活を送ったことなど、ゴッホはそういうミレーに惹かれたという。

一方、ダリのミレーへの注目の仕方は、名作「晩鐘」に対する衝撃的な解釈で、世界を驚かすというものであった。若い農民夫婦の間に置かれた籠の中には、一般的には、収穫したジャガイモが入っていると解釈されるが、ダリはそれに異議を唱え、籠の中に入っているのは、この夫婦の間に生まれ、死んでしまった赤ん坊であるという解釈である。そうすると、この夫婦の祈りの姿は全く違った意味を帯びてくる。目を凝らして、籠の中をもう一度見てみると、「やはりジャガイモだ」と言う者、「いや亡くなった赤ん坊だ」と言う者、何とも、ゴッホとダリのそれぞれの陣営に立ち、論争は果てしない。筆者はゴッホ的な世界を好むが、”変人ダリ”の見方が本当だとすれば、「晩鐘」は恐ろしく物悲しい世界を描いた作品になる。ともあれ、大地で祈る夫婦の姿は素朴で美しい家族像であり、19世紀フランスの農村地帯の敬虔な信仰を示す何よりの証となる。ミレーの「晩鐘」を素直にそのように受け止めたい。