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世界の芸術と家庭 [18]

岸田 泰雅

日本の家族の情愛の絆

おんぶ:日本の原風景

東海道日坂

川瀬巴水(かわせはすい)(1883−1957)という浮世絵師がいる。数ある作品の中に、彼は「東海道日坂」と題する昭和の浮世絵版画の一作品を残したが、画の中に子供をおんぶする親子のうしろ姿が描かれている。1942年(昭和17年)の作品であるから、日本が太平洋戦争に突入して間もない頃の物騒な時期に出来上がった作品ということになる。雨の中、傘をさして、子供をおんぶした女性が前かがみになって、のぼりの坂道をゆっくりと進んでいる。母と子の親子なのか、祖母に背負われた孫なのか、判然としないが、ともかく、家族であることは確実であろう。

もんぺを着るのはもちろん戦時中の女性の典型的な格好であるとしても、履いているのが下駄であるならば、子供を背負って、下駄履きで坂道を上るのはいかにもしんどいと思われる。子供を背負っている女性が母親であれ祖母であれ、人生の辛苦を耐え忍んで黙々と生きている日本女性の強さのようなものが、画の中から伝わってくる。戦時中ということを考えると、召集令状を受け取って、画中の子供の母親は夫を戦地のどこかに送っているかもしれない。祖母であれば息子を送り出している可能性がある。銃後の守りの一端を背負い、夫の無事、息子の無事を祈りながら懸命に生きる女性の日常の姿である。1942年の作品という手がかりを得るならば、そういう想像が働いてくるのである。

それにしても、板石を敷き詰めた石畳は、濡れそぼる雨によって、鏡のように輝き、道の両脇の家やおんぶ姿の親子の影を朧げに映していることを的確に観察している川瀬巴水が、ほとんど、写真に近いような完成度で、石畳の道を版画として仕上げた画技に驚かざるを得ない。

日本風景の叙情を表現した川瀬巴水

川瀬巴水を天才版画師として、その名を世界的に顕著にしたのは、川瀬の真価を見抜いた米国のロバート・ミューラー(1930−1997)である。海外における評価は、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎、歌川広重などと並び称せられ、日本ではあまり知られなかったのは残念至極だが、現在では多くの美術愛好家たちが彼の作品に目を見張り、驚嘆の声を上げている。「東京二十景:芝増上寺」(1925年)は、非常に有名で、川瀬の力量が遺憾なく発揮されている。特に川瀬巴水の好むモチーフの中で際立つのが、「雪」を題材にしたもので、神社仏閣や富士、および日本の自然や農村風景を描いたときの作品の素晴らしさであり、それは間違いなく万人の認めるところであろう。雪の清新さ、純真さ、それこそが川瀬巴水の精神世界と重なるものであったとすれば、彼の心は混じりけのない清らかなものへの憧憬に満たされていたと言えるだろう。

また、夕方の自然の風情、夜の気配、宵闇の明かり、夕暮れ時の景色といった、「夕」「夜」のモチーフが多いのにも驚かされる。静けさが人間の営みを覆い隠す夕刻、静寂が世界を支配する夜の雰囲気、それに川瀬巴水は引き付けられた。月のかかる「池上本門寺之塔」(1954年)に描かれた夕刻の景色は、煩悩に振り回された人の心をすべての活動から引き離し、平和と安楽の涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)へといざなう。夜はあの世への入り口であり、悟りと自己省察への聖なる門である。

雪に魅了され、夜の深遠さに囚われた川瀬巴水は、自己の版画制作を通して、神仏の世界へとおのれの心を飛翔させていたのかもしれない。雪と夜の暗示を解明することにより、作者の精神世界は、きわめて宗教的な悟りの世界へと心の旅を続ける川瀬巴水の姿がそのまま浮かび上がってくるのである。

時代の暗さの中にも家族の情愛描く

江戸の浮世絵版画の技法を用いて、昭和時代に、卓越した写実性を「新版画」として復興させた川瀬巴水の功績は、大いに称えられるべきものである。彼の残した膨大な作品群を心行くまでゆっくりと鑑賞する時間を割くことは少しも惜しくない。それくらい、一つ一つの作品が素晴らしい。

歌川広重の「東海道五十三次」を意識して描いたと思われる「東海道日坂」のおんぶ姿の版画は、川瀬巴水が好む夕刻の時間が選ばれている。傾斜のある石積みの上に建つ両脇の家であるが、その家屋もしっかりと描かれている。雨と傘の関連性も、広重の「名所江戸百景:大はしあたけの夕立」を思い出せば、伝統的なモチーフの範囲内で、川瀬の作品には、子供をおんぶした親子の姿が、雨の中、傘をさして坂道を上るという「日本の家族の情愛の絆」を強く押し出している面が見られ、ここに、川瀬巴水の平和への願望が主張されていると言えるだろう。