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親日・国際家庭インタビュー 〔15〕

鈴木武/ヒッダさん

5人の子供たちと奮闘の日々

日比国旗

——奥様のご出身は?

ヒッダ フィリピンのルソン島です。首都マニラからバスで8時間、飛行機なら45分ぐらいの所です。日本と同じ島国で、7千以上の島があります。歴史的には16世紀にマゼランがヨーロッパ人として初めて来ましたが、以降約400年、スペインの統治下でした。その影響で宗教的にはカトリックが大多数です。あちこちに教会があって、私も子供のころからよく通っていました。

——日本に来たのはいつですか。

ヒッダ フィリピンで1993年の10月に結婚して、日本に来たのは1994年です。2001年にフィリピンにもどり、7年後、再び日本で生活するようになりました。その間、子供は5人授かりました。一番上の子は大学生で、一番下の子はまだ5歳です。

——日本でもフィリピンの料理をつくったりするのですか。

ヒッダ そうですね。スペイン料理や、フィリピンはビジネス的に中国とも関係が深いので中華料理もよくつくりますね。

——子供さんたちも、両国で生活を経験しているわけですね。

 上の4人の子は、小さい時にフィリピンで生活しています。ですから言葉もフィリピン語、日本語、公用語の英語、そして妻の実家の現地の言葉なども話します。子供たちは皆かわいくてしかたないですね。建築やデザイン関係など、ぼつぼつやりたいことを口にする子もいて、それぞれの夢が実現できるようにサポートしたいと思っています。

——PTAなど学校関係のつきあいも大変ですよね。

ヒッダ 正直、私は日本語がまだまだ難しいので日本での学校関係のことは夫まかせです。私としては非常にもどかしいのですが、仕方ありません。

教育をめぐる考えの違い

——子供の教育方針は?

ヒッダ 私は厳格な家庭環境で育ったこともあり、子供たちには宗教的にも行くべき道を親として示し、善悪をきっちり教え、しっかりと人としての芯を立てなくてはならないと思っています。もちろん大人になれば、それぞれの個性を活かして生きていってくれればと思いますが、子供のうちはきびしくいろいろと言っていますね。実はその点、夫とはちょっと違うんです。夫は細かいことをいろいろ言わなくても「成長すれば自分で分かるようになる」とか言うんですよ。

 妻の言うことはもっともなのですが、私としては頭ごなしに言ってきかせるよりは、もっと子供とのコミュニケーションを大事にしたいと思っているんです。対話の中から子供たちには自分で考える力をつけてもらいたい。日本の将来は非常に不安定な要素がたくさんあります。たとえ大企業に就職したからといっても、いつどうなるか分らないような時代です。子供たちには、自分のやりたいことを見つけ、柔軟な発想でピンチも乗り越えていけるようになってほしいのです。

ヒッダ 日本にいると、言葉の問題もあって、どうしても私のやりたいような教育がちゃんとやりにくいのです。夫のやり方は、子供たちには受けがいいんです。ある意味「自由」があるから。でも弊害も出ています。子供たちが親の言うことをきかなくなったり、「悪い言葉」を使うようになったり…。私のフィリピンでの家庭ではありえないことです。子供は親に対して常にリスペクトする気持ちがあったし、子供が親の言うことをきかないなどということは許されないことです。

やはりフィリピンと日本では社会環境が違います。子供たちの中には逆に「フィリピンに帰りたいな」ともらす子もいます。日本では、「自由」があるけれど葛藤も多い。日々迷いながら歩んでいるようです。私は、子供は18歳までは、きびしく親がアシストし、十分な判断力がついてから自分の道を行ってほしい。フィリピンの伝統的な家庭では、それが普通です。そうして実際に立派な大人が育ってきたという自負があります。

両国で天災を乗り越えて

——宮城県在住ということですが、震災は大丈夫だったのですか。

ヒッダ 正直、「この世の終わりか」と思いました。フィリピンは、地震はたいしたことはないのですが、台風の被害が毎年のように甚大です。実際、子供たちとフィリピンにいた時、平屋の家が水没しそうになり、子供をたらいに乗せながら逃げ、かろうじて2階のある隣人に救助されたこともあります。そうした経験がある上で、日本へ来たらあの大震災ですから、本当に驚きました。夫は運送関係なのですが、たまたまその日の仕事が急にキャンセルになり、津波で流された仕事場に行かなかったり、知人が大量の食糧を運んできてくれたり、また運良く子供たちと県外へ一時避難できたりと、奇跡的なことがいくつもあって、なんとか乗り越えました。

 今、熊本が大変なことになっていますが、私たちに何かできることがあれば…と考えているところです。

——将来の夢は?

ヒッダ 子供の教育でもそうなのですが、フィリピンと日本の双方のよい面を融合して、国際家庭がもっと活躍できるようにしたいですね。フィリピンの知人には国際結婚を望む人がたくさんいるので、そういった人たちをサポートしていけるシステムを地元につくりたいと思っています。