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世界の芸術と家庭 [19]

岸田 泰雅

肖像画に込めた家族への愛情

ルノワールの家族

ルノワール(1841−1919)が極めて著名な印象派の画家であることは言うまでもないが、もう一つ忘れてはならない側面がある。それは、彼自身が自らを「肖像画家」と呼んだように、肖像画に熱心な画家であることだ。

ピエール=オーギュスト・ルノワールは長男のピエールが生まれてから、家族の肖像画を描くことに没入するようになった。およそ2000点もの肖像画を彼は精力的に描いたが、それらのほとんどは妻や子供たちといった家族の肖像である。自画像や知人らの肖像も描いているが、大半は家族である。

ガブリエルとジャン

なぜ、こんなに家族の肖像画を描くことに熱心になっていったのだろうかという素朴な疑問が湧いてくるが、それは、一にも二にも、家族への愛情という以外に理由はないと思われる。とにかく、ルノワールは妻のアリーヌを愛し、子供たちを愛した「愛の画家」である。長男ピエールの誕生を契機として、堰(せき)を切ったように流れ出る愛情の泉が、家族への愛の証としての家族肖像画へと彼を向かわせたのである。

そう言えば、ルノワールのすべての作品に共通するあの淡く温かい色調を生み出したものは、ルノワールの内面に満ち溢れる愛情の泉に起因していたのではなかったか。ルノワールの色彩は家族を愛する「愛の色彩」であり、愛がもたらす「幸せの色彩」であると言ってもよい。

「ガブリエルとジャン」(1895−96年の作、オランジュリー美術館蔵)という作品もまた幸せな家族の象徴ではあるが、ジャンを抱いているのは、妻のアリーヌではなく、家政婦のガブリエルがモデルを務めており、16歳の時からずっと20年間、ルノワール家で一生懸命働いてくれた女性である。結婚を機にガブリエルはルノワール家を去ったのであったが、ルノワールの一家に非常に愛された女性である。

芸術家族を作り上げた家族愛の絆

家政婦のガブリエルの懐に抱かれたルノワールの次男ジャン(1894−1979)は、長じて映画監督、脚本家、俳優などで活躍したフランス映画界を代表する人物であり、20世紀の著名な映画作家たちに大きな影響を与えた人物である。兄のピエールもまた映画や舞台で活躍した俳優であり、三男のクロードは陶芸家として生きているから、ルノワール家の父子は、ともに芸術の世界に生きた、いわば、芸術一家である。肖像画家として家族の一人一人に愛情を注いだ父親の影響を知らず知らずに受けて、子供たちは映画芸術の世界へ、陶芸家の世界へと旅立って行ったのかもしれない。

ルノワールの画才はもちろんのことであるが、彼は非常な美声の持ち主で、その声に惚れ込んだ有名な作曲家のシャルル・グノーはルノワールをオペラ座の合唱団に入るよう勧めたというエピソードまで残されている。絵画に、音楽に、映画に、陶芸にと、父子揃って芸術遺伝子に恵まれた一家であったことは疑う余地もない。

南フランスのリモージュで、7人兄弟の6番目として生まれたルノワールは、一家がパリへ引っ越してのち、磁器の絵付け職人の世界へ入ったが、1862年、21歳の時、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学を果たした後は、モネなどとの交流を深める中、印象派の画家として名を馳せていくことになる。

ルノワールの作品はとにかく明るい。柔らかく、温かく、楽しげな作品を描いている。そういう幸福色の絵画がまさしくルノワールの世界である。言い換えれば、幸福感を描くルノワールの絵画は、彼自身の家族の愛の絆がもたらした愛情世界の賜物であると言えよう。

愛の喜びはダンスに帰着する

ルノワールの作品を見ると、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」「田舎のダンス」「ブージヴァルのダンス」「都会のダンス」など、傑作の中に、ダンスのテーマを扱ったものが多い。それの意味するところは何かと問えば、「愛の喜び」と答えざるを得ないであろう。悲しいダンスというものもあるにはあるだろうが、やはり、ダンスは喜びの中で踊るのが一番である。喜びをもたらすのは人と人との間に流れる愛の感情である。ルノワールは人間世界の愛の喜びを追求した画家であると言えるかもしれないが、その愛の原点に家族愛を置いたことは間違いない。

自分の家庭、自分の家族の中に愛を見出せず、不幸な思いで人生を過ごしていたとしたら、楽しい絵画を描くというのは難しい。ルノワールの絵画が放つ春のお花畑のような楽しさは、やはり、ルノワールの生きざまに立脚したものであり、彼の子供たちが辿った芸術的な生きざまと併せて考えるならば、家族愛の花園がルノワールの家庭にはあったということであり、結論的には、ルノワールはとても幸せな画家であったと言えよう。