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ふるさとづくりのススメ 実践スローライフ〈4〉

ジャーナリスト 高嶋 久

家庭菜園と習い事で近所付き合い

田舎暮らしの楽しみの一つは家庭菜園にあります。最初は庭先でミニトマトやキュウリを育てるくらいでしたが、妻の友達の家から1アールほどの農地を借りられたので、いろいろな野菜を作ることにしました。

近所のご主人に「作りやすくていいよ」と教えられたのはツルナシインゲン。ツルがないので、支柱が要りません。うねを立て、3粒ずつまいておくと、3カ月ほどで花を咲かせ、実を付けます。子供と一緒に種まきをし、時々見に行って一緒に遊んでいました。

母に教えられていたのは、うねのところどころにマリーゴールドを植えておくと、虫が付かないこと。お花畑みたいになるので、見た目もきれいです。そうしていると、貸してくれたご主人が感心して、収穫が終わると耕運機で耕してくれました。

インゲンはごまみそ和えや煮物にして食べ、一番気に入ったのは天ぷらです。最盛期には、妻に「こんなに取ってきてどうするの」と言われるほどで、半ば意地になって食べ続けましたが、後々、いろいろな野菜でも、これを繰り返すことになります。

近所に上品な老婦人がいて、家で煎茶道を教えていました。最初、妻と友達が習いに行き、数回目に誘われて一緒した私だけが、今も続けています。煎茶は急須に玉露の茶葉を入れ、お湯を注いで出し、5つの小さな茶碗に注いで客に出します。茶道のような茶釜はなく、コンロのようなものでお湯を沸かします。

日本における煎茶道の開祖は、江戸時代の初めに禅宗の一つである黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた隠元(いんげん)禅師で、売茶翁(ばいさおう)と呼ばれる僧が広めました。私の師匠は名古屋の禅寺が宗家の売茶流で、文字通り、お茶を売り歩いていたそうです。

作法は茶道とも共通していて、畳の間の歩き方から茶碗の持ち方まで、とても参考になりました。茶道が庶民の間に広まったのは明治になってからで、それまで保護してくれていた大名が没落したことから、女子教育に新たな道を切り開いたのです。

その時に活躍した1人が、NHK大河ドラマ「八重の桜」の新島八重でした。晩年の八重は裏千家の師範になり、茶道を通した女子教育に生きがいを見いだしたのです。臨済宗の僧と親しく交わり、袈裟と法名まで授かったので「キリスト教から改宗した」と新聞に書かれたのですが、八重は否定しています。

習い始めて2年後の正月、初釜ならぬ初煎会で、お茶を入れた茶碗を運ぶ「お運び」を務めることになりました。家庭を持った時に母が作ってくれた丹前を着て、和装の女性たちに混じり黒一点の男性が務めたので、とても喜んでいただきました。

初煎会が終わり、着飾った若い女性たちと談笑していたら、息子がやってきて「お父さん、迎えに来たよ」。もう少し、遅く来てほしかったのですが……。