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世界の芸術と家庭 [22]

岸田 泰雅

忠義に生きた父子の姿く

戦乱の中の父子を描いた菱川友宣

戦乱の中の父子は、歴史の一大テーマである。父子が対立して戦う場合もあり、父子一体で難局を乗り越える場合もあり、父子が力を合わせて敵に当たっても敗北の憂き目を見る場合もあり、いろいろな父子の姿が歴史上の戦乱の中に見られることは周知の事実である。

しかし、歴史の悲劇は親子の対立離反、兄弟の闘争といったことが一般的に多い中、主君に対して親子ともども忠孝、忠臣の姿で侍り仕えて戦乱の中を生きた話が残された場合、それは美談として語り伝えられ、また、後世の人々の感動を呼び起こす話となる。

日本におけるその代表例が楠木正成(まさしげ)と正行(まさつら)親子の生きざまであったことは、江戸時代から現代に至るまで、多くの日本人の魂に美談として刻み込まれている通りである。戦局を見ながら、どちらに就くべきか父子の間でも意見が対立することしばしばという戦乱の中で、後醍醐天皇の南朝に対する忠義一本の姿勢は微動だにしなかった楠木正成一族であったが、事実、南朝の運命は楠木正成一族にかかっていたと言っても過言ではなかった。

楠公父子訣別図

「楠公父子訣別図」と題する江戸時代の絵が残されているが、作者は菱川友宣(ひしかわとものぶ)で、「浮世絵の祖」と称される菱川師宣(もろのぶ)の門人である。正確な生没年は分からないが、17世紀から18世紀にまたがる時代の浮世絵画家である。

大楠公と呼ばれる楠木正成(1294?—1336)と小楠公と呼ばれる楠木正行(1326?—1348)。二人の生没年から見ると、正成が32歳の時に儲けた子が正行である。正成は、1336年「湊川の戦い」(神戸市)で、勝ち目のない戦(いくさ)と知りつつも、足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と一戦を交え、その命を散らした。

この戦いに馳せる前、息子の正行と今生の別れとなる「桜井の別れ」(大阪府三島郡島本町)を行ったが、菱川友宣の絵はそれを描いたものである。弱冠、10歳の息子を前にして、もう二度と会えないかもしれない別れを告げる正成の胸中はいかばかりであったか。また、父親の別れの言葉を息子はどのように受け取ったのか。

江戸時代人の記憶に残る南北朝の争い

菱川友宣の活躍した18世紀初頭の時代から見ると、南朝と北朝が戦った時代(1336—1392)は、およそ300年以上も前の出来事である。その南北朝時代のことが、まるで昨日のことのように江戸時代の人々の脳裏に焼き付いていたに違いない。「太平記」の中に記録された、皇統を巡る戦いであったことも大きいが、やはり、楠木一族の忠誠心に人々は心を大いに動かされ、その父子の悲劇的末路に涙せずにはいられないものがあったのであろう。父の遺志を受け継ぎ、足利尊氏と戦う道を歩んだ正行は、1348年、「四条畷(しじょうなわて)の戦い」で、足利尊氏の家臣である高師直(こうのもろなお)との戦いに臨んだが、足利方の圧倒的な兵力の前に為す術もなく敗れ、享年23の短い命を散らしていった。

正行の残した辞世の句は有名である。「かへらじとかねて思へば梓弓なき数にいる名をぞとどむる」(二度と生きては帰るまいと決意しているから、ここにその死ぬ決意の者の名を永久に残そうと書きとどめる)。

敗北の色が濃くなり、それでも戦い抜くことを決意して、米英仏の連合軍、とりわけ、米軍に立ち向かった太平洋戦争末期の軍人たちとその背後を支えた日本国民が、まさしく、楠木正成・正行父子の心情に近い精神で戦争遂行の道を選んだと言えるのではないか。日本という国は、ときとして、合理的判断を拒否し、一つの激しい情念に突き動かされて、事を運ぶ一面があることを思わされる。

悲劇を味わった者たちへの同情心、判官びいきは日本的情緒の特徴なのであろうが、指導者とそれに従う国民が情緒だけで動けば、悲劇は大きくなるのかもしれない。

忠義・忠孝の鑑として

戦に出ようとする父親が息子に最後の別れを告げる場面というのは、尋常な場面ではないが、尋常ならざるゆえに、菱川友宣は「父子訣別図」を描いたのである。国文学者の落合直文は、1899年、「桜井の訣別(わかれ)」を作詞して、奥山朝恭がそれに曲をつけたが、「青葉茂れる桜井の…」と歌い出されるこの歌は、戦前、戦中を通して、愛国心の高まりに貢献する曲となった。

2番、3番の歌詞は壮絶である。「正成涙を打ち払い、我子正行呼び寄せて、父は兵庫に赴かん、彼方の浦にて討死せん、いましはここまで来(きつ)れども、とくとく帰れ故郷(ふるさと)へ:父上いかにのたもうも、見捨てまつりてわれ一人、いかで帰らん帰られん、この正行は年こそは、未だ若けれ諸共に、御供(おんとも)仕えん死出の旅」。実際、こういう会話のやり取りであったかどうかは別として、落合は忠孝の鑑(かがみ)として楠木父子を描いたのである。