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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

落葉の雑木林の美を描写した国木田独歩をしのび、新年を感じて歩いた武蔵野

〈きびきびと万物寒に入りにけり〉 富安風生

師走の上旬。東京の西、井の頭公園と近くの玉川上水沿いを上流に向かい2度、3度歩いた。久しぶりにいわゆる武蔵野を歩いたのは、この辺りが10年ほど前までは私のウォーキングコースだったことの懐かしさがひとつ。

もうひとつは武蔵野を散策して、その自然の美しさを描写した詩的散文『武蔵野』が代表作の一つである国木田独歩(明治4年〜41年)についてのコラム(世界日報・昨年11月13日付「上昇気流」)に触発されたからである。

森や林の美しさは一般に日本では古来から春の若葉や初夏の青葉、秋の紅葉であって、落葉の雑木林などではなかった。それが明治以降に、枯れた落ち葉の林などありのままの武蔵野の自然美に目を留めるようになったのは独歩によるところが大きい。

そして、独歩が武蔵野の美しさに目覚めたのは「ロシアの文豪ツルゲーネフの小説による」として、コラムは独歩の日記の一節を次のように紹介している。

「自分がかかる落葉林の趣きを解するに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い。これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落葉林の趣は同じことである」と。

ロシアに行ったことはないが、縁あってウクライナには何回か行っている。懐かしく思い出したのは、キエフの空港から都心に向かいまっすぐに伸びる自動車道である。道の両側に並ぶ白樺の林は、青い空の陽光の下の姿も、夜の月光に浮かぶ黒々とした風景も美しいと思う印象を心に刻んだことを思い出したのである。

武蔵野に足を運んだのは、そんな自然の、自然のままの美がここでも確かめられると思い立ったからである。独歩の楽しんだ昔の武蔵野の姿は、今ではこの辺りの疎林などに残るわずかな面影から偲ぶしかない。かさこそと落ち葉を踏む音を温かに感じ、枝だけの枯れ木のような林を見上げながら、それを明けて新年の光景として、ひと足先に師走に感じた気分と変わるまいと思い楽しんだのである。

JR三鷹駅前際にコナラやムラサキシキブの木などの超ミニ林の一隅がある。その中ほどに独歩詩碑が立ち、武者小路実篤の揮毫「山林に/自由存す」が刻まれていた。